Scribble at 2021-06-30 11:37:59 Last modified: 2021-06-30 11:40:40

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冷静に考え直してみたら、きわめてどうでもいい些事ではあるが、気になることがある。たとえば、こうやってタイプしているときに、フォームへ入力している文章の句読点が同じ位置へ来ると、何文字分かだけでも左右のどちらかへ避けたくなる。いまも、「~がある。」の句点と、「同じ位置へ来ると、」の読点が、上下でちょうど並んでいる。そのため、内容とは全く関係ないものの、後で入力している方(調整しやすいからだ)の表現である「同じ位置へ来ると、」という入力内容の読点をズラすために、「~へ来ると」を「~へ来ていると」に書き換えて、読点が右へズレるようにしたり、あるいは「同じ位置へ来ると」を「同じ位置だと」に書き換えて、読点が左へズレるようにすることが多々ある。

もちろん、文章の内容とは無関係などうでもいいことだし、それで内容やニュアンスに不適切な含意が加わると逆効果だ。そもそも、一行の文字数が好き勝手に変わってしまうオンライン・コンテンツのレンダリングにおいて、句読点の位置を著者が任意に固定したいという発想そのものに無理があり、いわゆる「印刷屋(に所属するデザイナー)の発想」というものだろう。どのような文章であっても、或る文が N 文字で書かれているなら、一行が N 文字となるようにウェブ・ページの幅を調整することで、幾らでも句点を上下で揃えられる。これを文章の著者やページのデザイナーが京極夏彦バリに拒否するなら、文章を画像としてページに貼り付ける他になかろう。

もちろん、そうすることも一つの尊重するべき見識・態度ではある。価値のない見識だとは思うが。

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