Scribble at 2025-03-09 08:31:42 Last modified: unmodified
In this eye-opening book, Agnieszka Pasieka draws on her own sometimes harrowing fieldwork among Italian, Polish, and Hungarian militant youths, painting unforgettable portraits of students, laborers, entrepreneurs, musicians, and activists from well-off middle class backgrounds who have all found a nurturing home in the far right. Providing an in-depth account of radical nationalist communities and networks that are taking root across Europe, she shows how the simultaneous orientation of these groups toward the local and the transnational is a key to their success. With a focus on far-right morality that challenges commonly held ideas about the right, Pasieka describes how far-right movements afford opportunities to the young to be active members of tightly bonded comradeships while sharing in a broader project with global ramifications.
「右派であること」が何か特異なスタンスやメンタリティであるという態度は、もちろん社会学や文化人類学としては偏っているわけで、そもそも学者でなくとも、スタンスとして他人を理解するにあたっては慎むべきことであろう。本書も、こういうタイトルを掲げているからといって、迂闊に「右派・保守派なんていう珍しいやつらがいるから調べてみよう」なんていう趣旨で書かれているわけではない。だが、やはり出版業界の傾向として、日本でも「若者は右傾化しているのか」といったスタンスの本は多い。要するに、若者は青臭い理想主義をもつのが正常な成長段階の姿であるから、ネトウヨなんてのは異常であって、ネットあるいはリアルの生育環境や教育がまともでない若者が増えている証拠であろうというニュアンスが嫌でも伝わってくる。なぜなら、逆に言えば都内の出版社に勤めているのは、大出版社であればなおさら、逆に判で押したような左翼だからだ。講談社や岩波書店や東大出版会の編集者なんてのは、組合に入っていて、なんだかんだ言ってもボーナスをもらって都内に数千万のマンションを買っていたりする「労働貴族」様たちである。実際には、こういう連中が東大教授のような金持ちの小倅といっしょになって世の中の貧困や差別をお喋りしているのが、大方の日本の社会科学の読み物を生み出している実情であると言っても過言ではない。
もちろん、必ずしもそれが「いけない」とは言っていない。実際に彼らは大量の本を読んでいたり気軽に数千万の資金をおとーちゃんからもらって留学なんかしていて、確かに賢いしものはよく知っているし、大量の情報を抱えていることは確かだ。彼らが出版社と共に輪転機から市場へ送り出してくる出版物が、たいていにおいて欠陥品であることは残念だが、しかし愚にもつかないゴミであるとまでは言えないし、2割ていどは素晴らしい仕事であると言える。僕が日本語で本を読み続けていることでも分かるように、そしていつもの「防衛的・保守的なパレートの法則」としても、こういう傾向はどういう国でも当てはまると想定している。