Scribble at 2022-01-23 01:33:44 Last modified: unmodified

日記やメモを書くときに、僕も忘れがちなのだが、忘れずにいたいことが一つある。それは、文字を丁寧に書くということだ。誰もが書道の師範になるような才能があるわけでもないし、そんな必要もない。文字は、書道の級すら持っていないはずの者が言うのはおかしいかもしれないが、判読できることが第一に優先するべき目的だ。よって、作品として書くなら草書でもいいが、会社の通達や稟議で草書を使うのは、いまや非常識というものであろう。江戸時代の同心か番頭さんでもない限り、同僚どうしで判読できない文字を書くのは、ただの自意識である(また、草書を読めるように要求することも非常識というものだろう。すでに草書体は日本語の標準的な運用環境においては〈死んだ〉のであり、草書で読み書きする習慣は趣味的なものでしかない)。

仮に自分自身しか読まない文書であろうと、文字を丁寧に書いた方がいい理由は、僕らのように半世紀あまりを生きてきた人間であれば、多くの人々が過去に何かを書いて後悔した経験をもつので理解できるであろう。それは、何年かが経過した後に自分の書いた文書を読み直しても、判読できないことがあるからだ。自分で自分のためにしか書いていない文書が、後から自分自身で分からなくなるのだ。こんな残念というか、情けないことはなかろう。美しく書く必要なんてないが、せめて何十年かが経過した後でも自分で何を書いたのか(脈絡までは思い出せなくても)読み取れるくらいの丁寧な文字を書くべきである。

文字を丁寧に書く要点は、結局のところ運筆を雑に省略しないことに尽きる。書いている最中に、下痢でウンコがしたくなったとか、電話がかかってきて家族が怪我をしたとか、そういう事情でもない限り、文字を丁寧に書いて3分かかるのと、雑に書いて2分かかるのとで、いったいこの宇宙、世界、日本、あるいはあなたの生活にとって何の重大な違いがあるというのか。文字を丁寧に書くと、1分の違いで会社が倒産したり、あなたが数億円の被害を被るとでもいうのだろうか。そんな自意識過剰な生き方こそ、後で自分の書いた文字を読めなくなるよりも、更に酷い悪影響をあなたの生活にもたらすであろう。

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