Scribble at 2002-09-15 06:21:32 Last modified: 2022-10-03 16:30:13

さて、最近は自宅にマシンがなくて本ばかり読んでいるのです。実は恩師である竹尾治一郎先生(現・関西大学名誉教授)からいただいた『分析哲学の発展』(法政大学出版局)をじっくり読む機会がなかったので、いまになってようやく読み始めているというわけです。ざっと半分を読み終えた時点で言うと、これはひととおり分析哲学を学んだ人がもっと正確に理解するための指針となるような本だと言えます。こう言うのは入門書を書いたつもりの先生には気の毒ですが(笑、これはどう考えても玄人向きの概説で、教養課程の学生には理解できないと思う。最低でも分析哲学を専門に学んだ修士課程の学生がようやく「何のことを書いているのか分かる」という内容です。でも、そういうことはともかく、実によい概説書だと思います。いま言ったような条件に当てはまる意欲のある学生諸君には一読してほしい一冊です。

この本は概説書として書かれているので、大まかな時間の流れに従って解説されています。フレーゲ, ラッセル, ヴィトゲンシュタイン(かなり多くの人が Wittgenstein を「ウィトゲンシュタイン」と書くのですが、僕は「ヴィトゲンシュタイン」と書くことにしています。あまり強い理由はありませんが)といった、分析哲学の始祖と呼ばれる人々の解説から始まって、ウィーン学団や日常言語学派の展開、そしてアメリカへと渡って大きく成長する分析哲学の道筋が丁寧に解説されています。もちろん時系列に沿っているため、後知恵からの論評となるのは仕方のないところですが、それでも単に「現代から見ると古い」といった印象批判にとどまらず、理屈を通して論評されています。そういう点では、分析哲学の流れを総じて論評した一本の論文として読むこともできるでしょう。

何人かの人に聞くと、竹尾先生は怖いという意見を聞くのですが、この本や個人的な先生とのやりとりを回想してみると、かなりユーモアのある文章もあって楽しめます。寧ろ一人の研究者として別の意味で怖いのは、「ああ、竹尾先生ってばこんなところまで研究の対象にしてたのね」という怖さというか。実は修士で関大の面接を受けたとき、いまと同じ 9 月の半ばでしたが、僕は竹尾先生に「カルナップの研究をしたい」という大法螺を吹きました(笑。こう、トピックを挙げるよりは「誰」を研究したいかという人物の名前を挙げる方がよいという、日本の哲学科に残るくだらない風習をなまじっか知っていたため、こう言ってしまったわけです。ですが、入るときは既に因果関係の研究をやろうと思っていたし、僕の修士論文をご存知の方はおわかりの通り、僕は確率的因果性の研究で学位を取っています。そんなわけで、この本の中に出てくるカルナップへの言及箇所を読むたびに「ああ、これは何かの暗示なんだろうか」と思わずにはいられない(笑。そういう怖さがある。

こういう印象に残る本というものは、本を読んで考えるのが仕事であってみれば何冊もあります。例えば他には、初めて読んだ哲学の本は、遅いと言えば遅いのですが高校 1 年のときに読んだ岩崎武雄さんの『正しく考えるために』(講談社現代新書)がありました。人が陥りがちな誤りを避けて、正しく考えるための指針を紹介するという、典型的な認識論の入門書です。僕がときどき竹尾先生から「君には認識論的アプローチを取りたがる癖がある」と叱られたのは、もともとデカルトの『精神指導の規則』とかカントとか、あるいは新カント学派とか、ともかく認識論の本から出発したという経緯に理由があるのかもしれない。いまではどちらかといえば、形而上学とか英米の哲学で言う ontology をやっているわけですが、それでもどこかに「それを知っていると言える根拠はどこにあるのか」という視点が入り込んだりします。まあ思い出話ということで。

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