Scribble at 2023-12-30 09:35:03 Last modified: 2023-12-30 11:00:32

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PARCO

連れ合いから広告をシェアされて、ついでにウィキペディアで PARCO の沿革を眺めていたのだが、かつて天満橋の近くにあった LIBRO という書店も PARCO の事業だったんだな。個々のプロジェクトは確かに刹那的なインパクトはあったし、PARCO が「文化」とやらの担い手を自負していたような時代、つまり僕も高校時代にデリダやフーコーや浅田彰を読んだ一人として、この時代の馬鹿騒ぎの責任を逃れられるとは思えないが(でもバブルの恩恵は殆ど受けていないので、大して贅沢もできなかったし財産もない)、しかし高度成長期の残滓として多くの醜態をさらしたことは事実であり、これは当時も醜悪だった。もう、あの時代に素人の分際で設計の「思想」を語っていたインチキ建築家が建てた素っ頓狂な外見のマンションや文化施設なんて、一つも残っていまい。

結局、西武セゾン=博報堂グループの経営計画に組み込まれて、浮ついた金で「文化」とやらにうつつを抜かしていた都内の小僧だけを相手にするような、いわゆるポストモダン系列の成金思想(ただの浪費をバタイユなどの言葉を引いて「蕩尽」などというスタイリッシュなものだと囃してたてたのが、昨日も紹介した糸井重里氏をはじめとする出版・広告・マスコミの人々だ)をいまでも僅かに伝えている、或る意味では貴重な「遺産」と言うべきものが PARCO の「文化コスプレ」だ。こんなものは本当の文化の作り手やメディアやプロパティとは言えず、文化的な何かをやってる風のコスプレを資本金が残されているのをいいことに続けているだけの話でしかない。なので、テレビでも PARCO のコマーシャルを眺めることはあるけれど、やはり僕にとっては1980年代の哀愁を感じてしまう。

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