2018年06月02日に初出の投稿

Last modified: 2018-06-02

僕が中学時代に入っていた学内の社会科クラブでは、同級生の一人に「大阪大空襲」というテーマを3年間ずっと調べていた人物がいた。大坂城の近くにある砲兵工廠の跡へ行って写真を撮ってきたりして、毎年の秋頃に文化系のクラブで実施していた校内の研究発表会でも、発表会場の視聴覚室(クラブの部室も兼ねていた)ではテープに録音した解説を流すと共にスライドを映していたのを覚えている。もちろん、僕も前方後円墳の 3D モデリング図を当時の8ビット・コンピュータで動かすプレゼンをするために、MZ-80B というシャープのコンピュータを家から文字通り背負って学校に運んだものだった。

ここ最近になって船場センタービルについて調べていると、『新修 大阪市史 第8巻』は大阪の戦災から記述が始まっているので、大阪大空襲についても幾つか改めて教えられる。中学時代は大して関心もなかったことだが、年をとるなり他の経験を積むなり、あるいは現在の興味や脈絡といった事情で、人が何に関心をもったり重要だと考えるかは移り変わるものだと気づかされる一例だ。

もちろん、こういう関心の移り変わりに優劣や後先という基準はないので、僕が中学時代の同級生よりも35年くらい、何か重大なことについて気づいたり関心をもつのが「遅れた」がゆえに劣っているというわけではない。確かに、情報として何かを知る機会が単純に時系列として「後になった」のは事実だが、その何かについて知るという機会が後になるからこそ有利になる場合もあるからだ。例えば、過去の報道や学術書には間違ったことが書かれていた可能性もあるし、単純に情報量が少なかったという可能性もある。したがって、中学時代に『プラトン』を読んだとか古典的な小説を原書で読んだていどのことで、自分が早世の天才だと言わんばかりのニュアンスを文章に含めるような俗物がどういう自叙伝を書こうと、一定の成果が出るための役に立っていると論証・実証できない限りは与太話でしかない。もちろん、そういうことにも何らかの意味があったのかもしれないというセンチメンタリズムは、多くの凡人がすがりたくなるものだろう。しかし、結局のところそんなファンタジーで思想や学術的な成果が達成されたという証明は殆ど実例がないのだ。

しかし個人の関心事としては、中学生だった当時に同級生が大阪大空襲を調べるようになった事情とか理由は興味のあるところだ。そして、僕の母校は大阪でもトップクラスの進学校なので、原書で小説を読むといった些事を自慢するような程度の低い中学生はいなかったのである(これは自慢ではなく過去の事実にすぎない。山中伸弥さんのような人たちに聞いても同じことを言うはずだ)。だが、ひとくちに中学生が過去の空襲を調べると言っても、東京の大空襲や他の都市が見舞われた空襲にしても言えることだが、それらの空襲そのものによって記録が難しくなる(被害を書き残す紙すらなくなる)ので、恐らくは図書館をめぐるだけでは不十分だろうと思う。そういう意味では、既に体験して記憶に残っている人が殆どいなくなってしまってきているという別の問題が起きているだろう。思い起こすと、僕も生野区の実家に住んでいた頃に、近くの「疎開道路」と呼ばれる道に面した古い書店(置いている商品の8割はエロ小説とエロ漫画とエロ雑誌とエロ写真集とエロビデオだった)を経営していた老婆から、空襲のときにどこへ逃げたことがあるという話を聞いたことがあった。その書店も、既に何年も前から無くなってしまっている。

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