Scribble at 2022-08-31 13:06:29 Last modified: 2022-08-31 13:18:46

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In Karl Marx and Friedrich Engels’ Communist Manifesto, they listed “free” public education as one of the features of their “10 Plank” system for seizing power.

Don’t Be Afraid to Homeschool

いちおうアメリカの保守派とされるメディアも、たまに眺めている。もちろん、僕が奉じている「保守」というのは欧米の保守派とは殆ど関係がないし、日本の保守派なんてのは錯覚で自称してるだけの連中だから眼中にない。僕が言っているのは "anthropic" と言ってもいいような立場を保守することなので、特定の国や時代とは関係がないのである。当然だが、必ずしも secular であるとも限らない(ただし、この場合も特定の宗教や宗派なんてどうでもいいわけで、宗教人類学的なスケールで是非を判断している)。日本でも確かに「自由」民主党なんていう自己矛盾としか言いようがない名前の政党もあるが、もちろんご承知のように日本の右翼や自称保守なんてのは、ただの国家社会主義者であって、彼らがヤクザやナチスや陰謀論者や宗教団体といったファシストどもと親しいのは、当然のことなのである。でも、アメリカの保守派の中にはリバタリアンを初めとして筋金入りの自由主義者がいて、それこそ大阪維新のような口先だけのリバタリアンとは次元も実績も教養も来歴も異なる。したがって、日本の保守がリベラルを「社会主義」だと非難する資格がない(東大を出ていようと無教養ゆえの)無自覚な社会主義者であるのは仕方ないとして、アメリカでは上記の記事みたいに、堂々と民主党の政策を「社会主義」だと言いうる根拠がある。極端なことを言えば、連邦政府すらいらないという人も多いのだ(とはいえ、アナーキストでない以上は限度がある)。

さて、上記はアメリカの保守派(つまりは「自由主義」)によるホーム・スクーリングを勧める記事だ。無償化された公教育が国家による子供の洗脳だと言わんばかりの議論は、世襲制の資産家が多いリバタリアンのように公教育など無縁だった金持ちが言うのであればともかく(それは昆虫が動作するのと同じで、あまり興味深くもない自然現象みたいな思考であろう)、自分自身が公教育の恩恵を受けていながら金持ちになったとたんに公教育はいらないと言い始める、〈梯子外しども〉に類するリバタリアンが言うのであれば、やはり恥を知れとしか言いようがない。

ともあれ、実際にホーム・スクーリングを始めると、拍手されるがそれだけに終わるか、あるいはホーム・スクーリングにまつわる逸話に関連付けて非難されるかのどちらかだという中で、ホーム・スクーリングはもっと簡単に導入できると言いたいらしい。僕は、当サイトで教育者や教育行政に対する僕自身の非難を読んでいればお分かりのように、公教育を最善の制度だとは思っていない。特に教育に携わる者へ要求するべき基準が低かったり、教職員にかかる負担が過剰になっていると、簡単に言えば〈掃き溜め〉のような業種になってしまい、馬鹿が教えるという構図になってしまう。この手の悪循環は、大半の公立学校では取り返しがつかない影響を長期間にわたって及ぼすため、そういう下方圧力と無縁な(僕らもそうだが)進学校やエリート校で学んだ人間には、なかなか実情が分かりにくい。それゆえ、少しでも子供の教育について思うところがある親は、現今の教師に子供を預けたくないと思うのも無理からぬことだという話になる。

緊急避難的かつ個別に学校教育から〈逃げる〉というのは、一つの選択だと思う。金さえあれば、日本でも子供に教師をつけて、大学へ行かせたいなら大検を受けるか、あるいは SAT のような試験を受けてアメリカの大学へ入れたらいい。やろうと思えば、いまの日本でも簡単にできるのだ。確かに憲法二十六条に子供へ普通教育を受けさせる義務は規定されているが、それはあくまでも親に対する義務であり、子供に学校へ行く義務はないため、既にホーム・スクーリングは憲法に違反しないと説明するサイトもたくさんある。また、近年の事情に照らすと、子供が学校での人間関係で虐められたり(あるいは虐めたり)するというリスクがある。学校で学ばないと社交性が育まれないのどうのと、適当な口先だけの教育論や素人心理学を語る手合いは非常に多いが、そんなことは誰も実証していない。寧ろ、そんな大半の人間がやっていることで育まれる社交性なんていうのは、クズ営業の話術みたいな場当たり的と言うべき処世術にすぎない。よって、選択肢の一つとしてホーム・スクーリングを提案するのは一向に構わないし、困っている家庭があれば緊急避難的に行政がサポートしてもいいほどだと思うのだが、公教育が社会主義だからというイデオロギーを理由にして推奨する態度は支持できない。

それから、これをいわゆる gifted / talented の情操教育や英才教育として推奨することにも疑問がある。そういう子供は、他の子供と比べて特異な才能とか興味があるのかもしれないが、他の子供から隔離したり、ましてや算数が好きだというだけで算数や数学の本だけ自宅で与えておけばいいなんてのは、それこそ子供をモルモットにしているのと同じだ。その子供が10歳でハーヴァードの博士号を取ったりするのはいいが、これも事実が明らかにしているように、そんな子供がノベール賞を受けるほどの画期的な業績を残したとか、巨大 IT 企業の経営者になった実例など殆どないのである。そういう競争を終えた後の〈大きな子供〉は、単なる社会的不適合者であるにすぎず、逆に色々な行政サポートや人間関係の負担を要求することになる。それでもいいと言えるのは、おそらくやはり大金持ち(しかも自分の事業や財産を正しく継承してくれる他の子供ががいる資産家)だけだろう。

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