Scribble at 2024-07-08 08:18:06 Last modified: 2024-07-08 09:21:30

蔵書のうちで幾つかの分野については、概論ていどの体系的な著作物を何冊か読んでおいて、他の各論などの詳細を扱った著作は古本屋に手放そうとしている。そういう分野として、「海ごみ、海洋汚染」、「シルクロード、玄奘三蔵」、「仏教」、「社会保障論、社会保障法」、「都市計画論」、「船場センタービル」、「カザルス(ホール)」を挙げておいた。

但し、カザルス・ホールについては、ガラ・コンサートのパンフレットなどの希少品が手元にあって資料としての価値もあろうから、これはページを制作して公開する予定だ。カザルス本人、あるいはチェロという楽器についても色々と調べたり本を手に入れてみたのだが、この話題をフォローするだけで一人の人間の資産や時間を遥かに超えるリソースが必要であり、僕がそれだけのリソースを割いてコミットするほどの財産も時間も関心も、それから社会的な責任もないわけである。やはりそういうリソースの大半は、家族との生活や仕事、それから本来のライフ・ワークである哲学に費やしたい。

それと、仕事に関連する分野についても、たとえば財務会計とか原価計算論とか組織論なんてのも、概略を理解したら詳しい知識なんて必要ない。そもそもこうしたバック・オフィスの実務にかかわる知識は、学問としてすら実体法や実体経済によって幾らでも議論の内容が変わってしまう。それを、少なくとも僕は弁護士になった友人から高校時代に何度も聞いていたし、自分自身も学部時代は法学部法律学科に所属して実体法を学んだので、実感としても分かる。また、マネジメントに類する多くの本も、たとえばコビーの『7つの習慣』を1冊だけ持っておき、多くの類書から学んだことを余白に書き込んでいけばいいと思う。ああした本は、或る程度の体系性というか多くのテーマや論点に言及しているなら、既存のマネジメントやリーダーシップに関する本だとか社会思想、それから聖書などからの影響があるため、古典的な著作をどれか一冊だけ持っていてベースに使えばいい。他にも、ドラッカーでもいいしマクスウェルでもいいのだ。

そして重要なのは、学問でも言えることとして、そうした著作を読んで、自分が何を得て、それから自分が何を考えて、実際に何をしてみたのかということだ。単にビジネス書を読んで「参考になった」だの「気づきを得た」なんて言っているだけでは、多くの会社で実施している研修でも言われるように、実は何もしたことにならない(なんで研修が必要なのかというと、そうした研修のワークショプで実際に自分が何を考えて何をすべきか考えさせる習慣をつけたいからだ。読書するだけで社員が成果を自分の仕事に応用してくれるくらいなら、そんな研修は不要なのである)。はっきり言わせてもらうが、読んだことを無自覚に応用できる才能なんて、たいていの凡人にはないのである。よく、読書を促すようなプロパガンダと言ってもいいような記事などで、読書するとひとりでに「経験値」のようなものが溜まっていき、なぜか自動的に人として成長するとか、「良い人」「良い上司」「良い旦那」「良い親」になるとか、そういう出鱈目なストーリーを勝手に読み手に捏造させるような連中がいる。でも、たかだか本を読んだくらいで人が勝手に賢くなったり、誠実になったり、あるいは真理や事実に向かって近づくなんてことはないのである。

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