Scribble at 2018-01-28 22:19:46 Last modified: 2022-09-23 20:50:41

「足立さんの『日本文学史』では充分ではありません」というのがあった。 明治大正の近代文学史を勉強するうえでのことである。

『要説 日本文学史』

僕は、この手の寸評というのが大嫌いだ。手軽にマウンティングできるレトリックだからである。

そもそも通俗書として何でもかんでも盛り込むわけには行かない著作に「充分ではない」と批評するには、限られた紙面のうちで本来は必要だったものの代わりに不適当なものを書いてしまっているという理由しかないはずであり、これを書いていない、あれが不足している、などという単純な情報量だけを理由にするなら、それこそ辞典を作らなければ「充分ではない」という軽口を永久に誰に対しても言える。これは、はっきり言って商業的な制約のあるプロダクト・デザインに対する素人の批評だ。

この文章の後半には、明治・大正の文学史を知るために読むべきとされた吉田精一さんの『明治大正文学史』が紹介されているが、確かに文学史を専門に勉強するなら、このような著書を更に読まなければ「充分ではない」と言えるが、そんなことは専門に勉強するというレベルを前提に考えたら自明である。およそ学問とは、何をどれだけ読もうと「それだけ読めば終わり」だなどという基準はないからだ。つまり、宮崎さんは伊藤・足立両氏の本に、国文学専攻の大学院生が読む概論のレベルを勝手に要求して「そのレベルに達していない」と言っているように思えるが、そんなことは、鬼籍に入る前から著者のご両人とも承知していただろうと思う。

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