Scribble at 2005-04-12 01:04:01 Last modified: 2022-10-03 16:33:45

じっくりご報告するのは別のページとして、ひととおりかいつまんで説明すると、金曜の朝に関空を経ってソウルの仁川(インチョン)空港へ着いたのがお昼前でありました。そこからリムジンバスでソウル市内の Westin Chosen(朝鮮) Hotel へ向かい、チェックインした後ですぐに民族博物館へ行ったのであります。そこからホテルへ戻って、今度は明洞(ミョンドン)の焼き肉屋さんへ行って豚肉を食ってみた。初日はその後で明洞あたりを散策しつつ買い物など。ここらはちょうど原宿みたいなところで、ガキの洋服とか靴とかを置いてある店ばかり。夕方から 23 時頃までは道の真ん中に屋台が並び、70 年代頃のファッションデザイナーがパンタロン履いてかけていたようなサングラスとか、ヨン様のブロマイドとか、こてっちゃんの串とか、「完璧なニセモノ」と書かれたアディダスのシャツとか(笑、その手のものばかり並んでいました。

二日目以降はまた明日。それにしても、ソウルというか韓国の人はガキだろうと年配の人だろうと、道でお互いに避けて歩かないな。あれが儒教の国かと驚くほど礼節を弁えない人が多いように感じました。日本と同様、個人主義(いーじゃん俺だけハッピーなら。世界に一つだけの花だしぃみたいな)とか、民主主義(いーじゃん俺「ら」だけハッピーなら云々)がくだらんレベルで普及しつつあります。そういう意味ではグローバリゼーションが進むのもむべなるかな。ていうか、後で聞いた話では朝鮮人の半分は主体思想で(これは冗談であろう)、残りのうち更に半分はいまや無信仰で、そのまた残りを儒教とキリスト教で分け合っているらしい。まぁ、中東をはじめアメリカでもしばしば見かけるように、信仰心をもつからと言って人が穏和な生活態度をもつようになるとは限りませんから、日本のガキと同じく韓国のガキも、道の対向に目上の人間が歩いて来ていても真っ直ぐ歩こうとするような倫理観の欠如を示しているからと言って、いちがいに信仰心の話にしても仕方ないのかもしれません。

僕がなんでこんなことを気にするかと言うと、僕は子供の頃から背が高く、道を対向から歩いてくる中学生や高校生にインネンをつけられやすかったわけなのだ。要するに、わざと避けずに歩いてぶつかって来ようとするガキがいたり、あるいはガタイのあるこっちを避けさせて得意がるガキとかも多かったわけよ。そういう経緯があるので、とにかく道を歩くというのは昔から神経を使うことなのです。いまでもそう。ガラの悪い奴とぶつかって喧嘩にでもなったら、相手は残りの人生を失うだろうし、こちらも将来が台無しになってしまいます。これはなぜか、ガキを避けるときもそうなのよ。

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