Scribble at 2021-09-28 00:39:27 Last modified: 2021-09-28 10:31:37

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誰が世界を変えるのか ソーシャルイノベーションはここから始まる

少し毛色の変わったビジネス本として、フランシス・ウェストリーらの『誰が世界を変えるのか』を手にとった。実は、ポーターの『競争戦略論I』を先に読み始めたのだが、どうも仕事や生活に応用できるようには思えないため、この手の素養は後回しにしたい。やはりリーダーシップやマネジメントや組織論の本を優先して読みたいのだけれど、実はそういうビジネス書は多く持っているわけでもなければ、所持している本は既にこの2ヶ月で読んでしまった。後は、定番とされるものがアマゾンで安く手に入れば読むかもしれない。なんにせよ、経営戦略関連の本は中小企業の役職として読んでみても浮世離れしていて読み続ける気がしないので、他に何でもいいから手にとったという次第である。

『誰が世界を変えるのか』は、なんとなく山形浩生的な選択で翻訳された本だろうかと思って、買ってから放置していたのだが、蔵書の処分という事情を考えると、もっと早く読むべきだった。いまのところは、この本もメモを取らずに古本屋へ送るダンボールへ詰め込む予定である。理由は単純で、最初から延々と「複雑系」だ「相転移」だ「非線形」だ「ローレンツ・アトラクタ」だというキーワードを振り回すだけで実質的な中身のない議論を続けているからだ。それにしても、英治出版という会社は、翻訳する本の選択に相当なムラがあるように思う。言わば、ビジネス書における青土社だ。まともな本も確かに出しているが、常識的に考えて偏差値60以上の大学を出ていれば分かるていどの、エセ科学やカルトとしか思えない議論を展開する著作物の翻訳を平気でバラ撒くような傾向がある。こういうことは翻訳書つまりは外国人の書く本だけの問題ではなく、日本にも社会学に量子力学を持ち込んでいる人物がいるわけだが、とりわけアメリカの場合は Christian Science というアプローチがあって、表面的には〈ただのエセ科学〉にしか見えないため、分かりにくい。

[追記:2021-09-28] 引き続き目を通しているのだが、僕は本書にも『静かなる改革者』と同じように、〈下からの改革〉あるいは権限や裁量のない人々による影響という、一定のリスクはあるものの有効な手立てはないものかと期待していた。しかし、やはり本書に出てくる社会起業家も、良い家に住んで良い車に乗る牧師だったり、成功したビジネス・ウーマンだったり、一流ではなくとも芸能人だったり、敢えて貧民街へ住むことにした大学教授だったりする。そして、彼らが身を乗り出すのは、〈自分よりも恵まれていない〉人々を救済するという、或る意味では(当人らが信じていようといまいと、アメリカでは避け難い)キリスト教的な精神性を反映する contribution なり commitment と言える。もちろん、この事実そのものは冷笑するようなことではない。しかし、本書はそういう(そこそこ上位からの)社会変革をイージーな科学用語で言い直しているに過ぎず、具体的なアドバイスもなければ社会科学としてまともなレベルの分析もない。要点にさしかかると、この本の著者(たち)は、必ずといっていいほど文学作品の引用を持ち出して話を誤魔化そうとする(つまり作品を読む側の理解に責任を転嫁しようとする)。100ページほど読んできたが、もうこの本も僕の時間を使うに値しないので、別の本に替える。

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