Scribble at 2021-09-29 15:15:28 Last modified: 2021-09-29 15:18:00

末端、あるいは地方で個人事業主として経営コンサルをやってる人々も、経営戦略だ、組織論だと、いっぱしのことをブログに書いていたりする。それはそれで構わないが、たまに見かけるのが、たとえばいま僕が読んでいる入山章栄氏の『世界の経営学者はいま何を考えているのか』なんていう通俗本を、現代文の大学入試で教えられる「批判的な読み方」といった調子で、やたら細かい単位で記事にしているという様子だ。本来、こんな通俗本は読み流して大要をつかめばいいのであって、細かい事項を詳細に分析したり解釈しようとしても無駄である。

そもそも、こういう本は古典解釈のようなアプローチに耐えられるほど厳密かつ丁寧に推敲されているわけでもないし、書くのに5年も10年もかけているわけではない。恐らく、生産的なプロパーであれば、全て自分でタイプしたとしても半年くらいで脱稿しているはずである。入山章栄氏の『世界の経営学者はいま何を考えているのか』という本であれば、1章あたり20ページで全17章を半年で仕上げるなら、1日あたり2ページぶんの原稿を仕上げてゆけばよい。前もって構成さえしっかり立てておけば、原稿をタイプするにあたってわざわざ調べたり考える必要なく2ページ分をタイプして校正するだけなら、それこそ30分もあれば可能だろう。

そういう著作物を、ご丁寧に『純粋理性批判』か『資本論』でも読解するかのようにバカ丁寧に分解してブログの記事にしているという体裁のコンサルがいたりする。もちろん、その理由は僕にはおおよそ見当がついている。一冊の本にこだわるだけなら、実は誰でもできる。別に MBA など必要ないし、それどころか経営コンサルタントである必要すらない。手にした本の言葉の意味を、あーだこーだと論じてみせるだけなら、実は誰でもできるのだ。しかし、それをやったことがない人にしてみると、それがいかにバカでもできる「作業」にすぎないかが分からないため、なにか「アカデミック」なことをしているという錯覚を起こす人もいる。小難しいことをやってるが、さすがは経営コンサルタントというわけだ。

しかし、大学院でプロパーの予備軍として何年か過ごしてきた者が見たら、そんなものが虚仮威しにすぎないことは明白である。些末な経営コンサルがブログの記事で通俗本を馬鹿丁寧に扱おうとするのは、学術的な検証や調査といったアプローチの必要がなく、学者のようなフリができるからだ。何か本を丁寧に読み込むという自意識プレイだけで、凄いことをしているかのように見せられるからである。これは、彼ら三流の経営コンサルが本業でやっていることに近いのである。

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