Scribble at 2020-12-09 20:08:09 Last modified: 2020-12-09 20:10:31

これは何度も書いていることではあるが、人というものは不足していることや足りないものを声高に言う。イギリス人が「騎士道」を叫ぶのは元々が荒くれ集団だったからだし、アメリカ人が「フェア」という言葉を好んで口にしたり重視するのはアメリカが昔も今も不平等な社会だからだし、東アジアの辺境地帯で「和を以て貴しとなす」などと言ってる国があるのは内乱が繰り返されてきたからであって、坂本龍馬などというテロリストあるいは明治維新を正当化するための狂言回しに過ぎないとも言える人物を英雄扱いするような国だからだ。

そういう国で思想や人文・社会科学に携わる人々も、学者や思想家というものは本質的に「ないものねだり」をする者なのであるから、彼らが著作で好んで theme-setting する論点や声高に叫ぶ概念こそ、その国に欠けているものだと言ってもよい。それはそれで傾聴に値するのだが、周りでお勉強しているプリンストン大学やパリ大学といった場所には、どういうわけか論じられているテーマについて、その国が《先進国》なり《最前線》だと錯覚して馬鹿げたプライドをもつ子供も多い。そんなものは全く実現されていないからこそ議論されているというのに、それではまるで積読によって勉強したつもりになっている人のようなものである。

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