Scribble at 2020-04-09 16:54:45 Last modified: 2022-10-03 10:05:55
そうだよ。どさくさに紛れて、たかだか数年前に起業したていどの三流広告屋とパソコン・オタクのイカサマ IT ベンチャーが、「いのち」だの何のと安っぽいヒューマニズムを掲げては、「イノベーション」だの「クリエーティブ」と称して胡散臭いサービスを売りつけようとする。
正直に言えば、オリンピックだってそうだ。冷静に考えみてほしいのだが、たかだか 100m を10秒や9秒で走れて、それが人類にとって何の役に立つのか。面白いと思い込んでみんなが見ているからこそ価値があるという建前になっているが、実際のところ本当に面白いのかどうか。少なくとも、陸上部の選手だった僕は、人が生きるために必須のことだとはぜんぜん思わない(たとえば、まっすぐ 100m を速く走れても、戦場ではそんなもの何の役にも立たない能力だ)。木切れでボールを叩き飛ばしたり、種のように奇妙な形状のボールを抱えて走ったり、頭上高く設置された籠へ無駄に重いボールを投げ込んだり、あるいは人類にとって実は何の意味もないバカでかい網の入れ物に向かってボールを蹴り込む・・・本当にそんなことに意味があるのか? かつて学部時代に文化人類学の授業でホイジンガが取り上げられていたけれど、スポーツの発祥は奴隷制と切り離して考えられないし、実際に現代においても大半の選手は競技団体やスポンサーの事実上の奴隷としてしか名声を獲得したり維持できない仕組みになっているではないか(例えば、僕が 100m を本当は3秒で走れたとしても、それを正式に計測する競技会に出ない限りは認められない。競技組織の一員でいてこそ、やったことは「記録」として残るのだ)。
これだけ世界中でリモート・ワークが推奨される事態になると、思い出すのは10年くらい前の或る話題だ。確か、Facebook のザッカーバーグがスマートフォンで社内文書を書いたとかいうエピソードなどを引いては、やがてスマートフォンなりタブレットでシステム開発するベンダーが出てくるなどという、壮大で愚かなホラを吹いていた馬鹿が都内にたくさんいたわけだ。もちろん、10年が経過した今日でも、スマートフォンどころか Automattic に匹敵するベンチャー企業すら、国内には殆ど存在しない。子供のお遊びか GitHub を共有するフリーランサーの寄せ集めみたいなものは幾つかあるが、そんな些末な事例を何千と集めたところで、Automattic が数年で達成した WordPress のような《業績》というものがなければクズである。