Scribble at 2024-10-02 10:10:21 Last modified: 2024-10-02 12:23:31
先日、出社したのが給料日であったから、ジュンク堂に足を向けた。文庫本の棚を眺めていると、サリンジャーの訳本とルシア・ベルリンの訳本が、どちらも文庫になっていたので、両方とも買ってきた。帯を見ると、ベルリンの訳本は3冊目が出るらしい。これも文庫本になるまで待つことになるが、楽しみではある。
さて、まだどちらも読み始めていないのだが、サリンジャーの訳本を手にとって最初に感じたのは、この表紙についての感想だ。紙面の両端までギリギリに文字を配置してある。これは「このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる」という題名つまりはフレーズを1行に配置することを優先したレイアウトであり、カーニングとしてかなり文字間隔を詰めているのはもちろんだが、「ド」や「イ」や「ッ」は 95% ていど、それから「ネ」や「れ」もわずかに文字の横幅を縮めているように見える。
これは、標準的な組版の手法から言えば幾つかの逸脱をしている。たとえば読点のような約物と呼ばれる記号は、最低でも次の文字に対して 1/4 文字ていどの間隔を空けるものだが、この表紙では全く間隔を開けていない。そして、このフレーズを1行に収めるために、印刷面の縁から 3mm ~ 5mm ていどは余白を空けるという慣習も破られている。しかし、これはあくまでも慣習であって、慣習というものはおおよそ凡庸な人々が無自覚に従っておれば大過なくことが運ぶというように作られているものだ。有能な人間は、もちろんしかるべき見通しや理由があってこそだが、そういう慣習に従う必要はない。そして、その理由の説得力こそが「クリエーティブ」と呼ばれるに値するのであって、そのへんの安物ベンチャーで「Web デザイナー」などと言ってたり、YouTube やイラスト投稿サイトで場当たり的な映像やイラストを暇潰しに公開しているていどの、しょせんはあと数年もすれば生成 AI に質も量も凌駕されるような凡人が勝手に口走って良い言葉ではない。
ちなみに、僕は「ウェブ・デザイナー」としか書かない。英語ができる人材なのに「Web デザイナー」と表記しないのは、イデオロギーの問題ではなく、僕は単に日本語の文章をここで書いているからだ。たいていは英語で日記や作業日誌を書くていどの英語力もないくせに、「Web デザイナー」なんていう表記を使うのは、三流のデザイナーが名前を全てカタカナで表記するようなことと同じで、単なる自意識(過剰)というものであって、実際のところ他人はなんとも思っていない。英単語を組み合わせたら文学で言う「異化」になると思っているなら、それは文学部の1年生レベルの発想だ。
ともあれ、こういう逸脱したレイアウトができるのは、日本の印刷会社や製本会社の技術が高いからだ。アメリカやフランスの出版社にこういうレイアウトの表紙で本を作らせたら、たぶん半分くらいは表紙が「のサンドイッチ・・・」とか「マヨネーズ忘れ・・・」とかで左右のどちらかが切れてしまうほど、印刷のズレた本が出来上がるであろう。日本の出版物に比べて海外の出版物で採用されている組版ルールが、余白に関してはかなり制約が大きいのは、要するに編集者や組版デザイナーが印刷会社や製本会社を信用していない証拠である(印刷された時点でズレていることもあれば、製本する際にズレることもある)。