Scribble at 2024-07-11 11:37:53 Last modified: unmodified

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Show HN: I made a Note-Taking app for people who keep texting themselves (strflow.app)

ま、こういう話題は既に当サイトでは何度も取り上げてるわけだけど、繰り返して取り上げては、何度でも同じことを言っておかないと、何度でも同じことを繰り返すのが人間というものだ。なぜなら、過去の成功だろうと失敗だろうと、全て記録したり学んでから何かをやるなんてことは不可能だし、それに加えて多くの若者は過去に学ぶということにインセンティブを感じないからである。

この手の、新しいテキスト・エディタだのテキスト編集のオンライン・サービスだの、あるいはスマートフォンのアプリケーションだのが出てくるたびに、もう既に幾つものスタンダードなツールがあるのだから、そこを乗り越えた実装としてリリースしてから話題を投じるべきなんだよね。既に Visual Studio Code や Eclipse なんかがある状況で、「これからメモ帳の開発を始めます」的なことを宣言して、いったい何の意味があるのかって思うんだよ。このところ、アメリカにもこの手の「やってみた」系の程度が低いコーダとかエンジニアというのが増えていて、僕はこれは小学校とかの「プログラミング教育」が元凶だと思ってるんだよね。何かを始めること自体に意味や価値があると安易に語りすぎて、クズみたいなものでも公にリリースすることで認めてもらえるという承認欲求が強くなりすぎてると思うよ。海外のガキって。

海外には、もちろん人口が多いとか産業規模が大きいという事情があって、日本よりも数多くの優秀なプログラマが事実としてたくさんいるし、若手にも有能な人が多いのは確かなんだけど、こんなことは高校レベルの統計学の話だから言うまでもないとは思うが、同じく凡庸でクズみたいな連中も無数にいるんだよ。アメリカだろうとインドだろうと中国だろうと。君らがオライリーの本だとか、都内で開催サれるカンファレンスだとか、あるいは TED なんかで見てるのは、まさに生存バイアスの典型と言ってもいい「一握りの成功者」なのであって、アメリカには彼らを遥かに上回る数で、どうしようもない無能とか、あるいはどうでもいい凡庸な連中がたくさんいるんだよ。

もちろん、成功事例という結果だけを享受していてもいいし、それをアカデミズムっぽく非難するつもりはない。でも、最低でも常識として、VSCode のようなプロダクトは成功事例であり、それ以外のクズみたいなプロジェクトがたくさんあるという事実も弁えておくべきなんだよね。そして、安易にそういうクズを「参加賞」だの始めることに意義があるといったイージーな自己啓発的なフレーズで称賛するべきではないと思う。自分で自分の道具を作ってるならともかく、リリースして他人にもコミットさせるつもりなら、始めたことに意義があるなんていう甘い基準で評価してはいけないのであって、それは「褒める子は伸びる」的なインチキ教育論と同じで、実際には一部の成功事例を除けば無数の甘っちょろい堕落した人間を育てるだけなんだよ。

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