Scribble at 2024-07-12 10:06:18 Last modified: 2024-07-12 10:14:43
たとえば、僕にとって人種主義とか人種差別というのは「必要ないもの」なんだよね。システム開発するのに、外注先のエンジニアが韓国人だろうとケニア人だろうと日本人だろうとフランス人だろうと、そんなことはどうだっていいんだ。僕らが求めているのは成果であって、ベトナム人がタイプしたのか、ドイツ人がファイルを保存したのか、そんなことに何の価値があろうか。
もちろん、これは「誰にでも発注する」という意味ではない。なぜなら、発注先として人種や国籍を問わないということの担保として、まず先に相手を信頼できるだけの与信つまり保証があるという前提があるからだ。そして、それは相手が「純粋日本人様」であろうと同じなのであって、日本で生まれ育った人物というだけで仕事を発注するような無能は、およそ道徳的な優劣という以前に、仕事を発注する当事者あるいは決裁者としての core competency に欠けていると言わなくてはならない。
よって、発注先として信頼できると認められている限り、相手がロシア人であれブラジル人であれ関係ないのである。逆に言えば、信頼できなければ元自衛隊員だろうと元宮内庁の役人だろうと取り引きしてはいけないというだけのことにすぎない。
弊社にも、ベトナムのエンジニアを採用しませんかなんていう営業メールが毎日のように届くわけだけど、たいていは無視する。それは、そもそもにおいて与信判断する必要もないという時点でベトナム人がスタート・ラインにすら立てないという意味では差別ではないのかと言いうる。でも、まるっきり同じことは日本人を勧めてくるメールにだって言えることだ。弊社には、そしておそらく他の会社も同様に、採用ポリシーというものがあって、性別、年齢、国籍、学歴によらず、そもそも弊社が必要とする core competency をもたない人材は(たとえ東大やソルボンヌの博士号を持っていようと、官製天才エンジニアだろうと)不要なのである。実際、所定の条件を満たしていれば、弊社には韓国人のデザイナーがいたこともあるし、50歳を超えるウェブ・ディレクターを採用したこともある。