Scribble at 2024-06-09 13:30:33 Last modified: unmodified

僕の番号では見当たらないが、稀に SNS やブログ記事などで「俺の番号は・・・」と称して電話番号を書くやつがいるんだよね。もしキャリアを替えたり、何かの事情で電話番号を替えたりしたら、そのツイートや記事を公開している限り、その人物の番号だと思って、いまでは別人が使っているにもかかわらず、その番号でかけてくる人がいるかもしれない。これは、或る意味では自分自身の電話番号という個人情報を正しく扱っていない、つまり「かつての自分の個人情報に関する責任」を問われるような事案になりえる。

もちろん、これは会社で利用している Google Workspace やグループウェアなどでは、自分のプライベートな電話番号を記載する人はいるだろうから、これについても、たとえば退職する際には消去する必要がある。同僚とのプライベートな会話で発言した中で書いたものも含めて、その取扱いは(会社にも一定の責任はあるが)当人にも自分自身の個人情報を適切に扱い、不要なら削除するというライフ・サイクル管理での責任があると言える。

こういう考えかたについても個人情報保護法に関連する議論というものは色々とできるのだが、やはり社会学者やルポライター、特に個人情報で飯を食ってるような物書きには、個人情報保護関連の施策を過剰に「権力の陰謀」だと言い張っている人々がいる。もちろん、政治家が事実を隠蔽するために個人情報保護法に訴えるというのは単なるレトリックであって、そんなものに騙される方が馬鹿なのだが(個人情報保護法は、そもそも情報を隠すための法律ではないからだ。情報の取得そのものが違法になるような条文など一つもない)、誰に教えられたのか、とにかく一般人の多くも不勉強なマスコミと一緒になって騒ぎ続けていたりする。結局これも、個人情報とプライバシーとを混同しているという致命的かつ根本的な錯覚によるものだ。

そして、逆にリバタリアンのような人々にとっては、個人情報保護法は逆に企業の「イノベーション」とやらを規制する悪法であり、このクソ田舎国家にいるらしい次世代のスティーブ・ジョブズが登場するのを国が法令で邪魔しているのだそうな。しかし、それはつまりネット・ベンチャーなり GAFAM のような巨大企業になるためには、われわれの個人情報を扱う事業なりサービスしかないと言っているのと同じであって、要は情報ブローカーしか巨大企業になれないと言っているわけである。もちろん現代において情報が大きな価値をもっていることは確かだが、しかし殆どの人間活動や産業は、ただたんに情報があるというだけで十分なのではない。海洋上にあって魚群を探知して漁師へ知らせるための情報技術は有力だが、ではその装置があるだけで魚が穫れるのかというと、網もなしに魚など穫れないし、現状ではロボットが漁師をやっている事例はないので、やはり人が漁というアクションを実行しないと魚は一匹も穫れまい。情報が大きな価値をもつからといって、情報が何かをするための必要条件であるとは限らない。ましてや最も大きな影響のある必要条件であるとも限らないのである。

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