Scribble at 2026-04-26 15:33:21 Last modified: unmodified
wework で執務スペースや会議室を予約するアプリケーションが新しくなった。これまでのアプリケーションは来月くらいで使えなくなるらしいので、仕方なく入れ替えてみたのだが、かなり使い辛い。これまでに使っていたアプリも使い辛かったけれど、このたび新しくリリースされたアプリは更に UI が直感的に扱えないものとなって、これはもう還暦前のお爺さんでは「直感的」のニュアンスが開発チームの若造とズレたり乖離してしまったのだろうかと半分くらい思ったりする。そして、もう半分では俺の方が正しいに決まっていると思っているから、こうやって違和感や「使い辛さ」をいちいち書いて公表するわけなのだが、ここでブツクサやっているだけでは無意味だ。AppStore のレビューも書くし、アプリのフィードバック機能も使う。
前世紀の末から Windows のデスクトップ・アプリケーションやらスマートフォンのアプリやらを使ってきているわけだが、とにかくユーザ・インターフェイスの設計や導線設計、いまでは簡単かつ雑に "UX" と呼んではいるものの、その詳細な議論やフィードバックや理論あるいは成果などなどを、体系的で、脳神経科学や知覚の心理学や光学・色彩学や眼科学やリハビリテーション医学や障害者支援法制といった自然系、人文系、社会系を総覧するような研究成果なり著作物というものは、いまだに人類史上で存在しない。いや、それどころか数多くの分野や知見の基礎になるアイデアをまとめたり規定するための、僕がこういう言葉を使うのも変だが、「哲学的な」議論すら貧弱な状況にあると言っていい。したがって、ユーザビリティやアクセシビリティの大きな本は幾つかあるものの、それらは要するに著者の個人的な善意や倫理観やデザイナーなどとしての職業意識によって支えられているだけにすぎず、表面的には「いい人の議論」ではあるが、僕らのような哲学者でもありデザイナーでもありエンジニアでもあるような人材から見れば、どうしても場当たり的なものに見える。
実際、それらを学んで専門学校や大学を出ているはずの、いまでは無数にいるデザイナーが、それこそ属人的なことしかやっておらず、個々にバラバラで場当たり的なクリエーティブを弄ぶだけという状況が四半世紀を経過してもウェブ・コンテンツのデザインにおいては何の変化も向上も改善もないように見られるというのは、要するにそういう表面的に総覧的なだけの著作物や大学の講義などが本当には体系的ではないという事実を物語っているのだと思う。幼稚な知性しかなく視野の狭い人間から見れば、MECE (Mutually Exclusive and Collectively Exhaustive) でない著作物や議論でも、「色々ある」というだけで総覧的に見えてしまうものだ。
また、もう一つの実情として、これまでの印刷・デザイン業界でも言われてきたことだが、知識や経験などの継承という問題があろう。職人的で属人的な才能だけが尊ばれてきた業界では、あらゆる成果がセンスという雑なもので理解されているため、簡単に言えば理屈や道理を習得するということが徒弟制度的な人間関係でのやりとりだけに矮小化されてきたという歴史がある。そこでは、まず文書としての記録や指示といったものが存在しないし、そういう documentation を軽視どころか敵視するような人々もいて、「口下手ですから」といった高倉健のような人物が深遠な思想をもつデザイナーなり職人の理想像として思い描かれるような、哲学者から言わせてもらえば「(悪い意味で)漫画的」としか言いようのない子供じみた慣行が続いてきたわけである。
しかし、生成 AI の時代においてデザインのノウハウが理数的な解析されて白日のもとにさらされ、おおよそ 90% くらいの職業的なデザイナーを自称する人々の仕事を、量はもちろん、質においても遥かに凌駕する成果が ChatGPT Images や Nano Banana によって、しかも素人の小学生が適当な日本語で要望を入力するだけで生成する時代となってしまった。弊社のウェブ・コンテンツの制作チームでも冷静に把握していることだが、このような状況を過去へ戻すことは不可能である。ワン・クリックで素人が殆どの職業デザイナーよりも優れた企業ロゴやウェブ・ページ(しかもソースコードのコーディングも含めて)を吐き出してしまうわけで、デザイナーがどれほど「クライアントのニーズを AI よりも正確に理解する」などと称してアドバンテージを語っても不十分だと言える。そもそも、クライアントの多くは「自分自身のニーズを正確に理解して他人に説明する素人」でもあるから、デザイナーが何を正確に理解しているのか、そもそも最初から意図や目的としての基準が間違って与えられている可能性があるし、それをデザイナーの側が気づく方法もないからである。いまや、クライアントが自分で色々なデザインを吐き出してみて、始めて自分は何を求めていたのかを逆に気づくということが起きている。そして、そのために最も有効なのは、自分の考えを(勝手に)忖度して二つか三つの提案しか持ってこないデザイナーではなく、一つのプロンプトから数百個のデザインを数十秒で見せてくれる AI なのだ。
こういう状況においてデザイナーが対抗できる本当のリソースは、センスなどではなく、ウェブでは公表されていない(つまり AI が学習しようがない)経験や知識の蓄積であるはずなのだ。そして、それを共有したり継承するために必要なのは言葉であり documentation でありコミュニケーションなのであって、高倉健の猿真似事などやっていては AI に負けるのである。