Scribble at 2020-04-24 09:35:25 Last modified: 2020-04-24 09:37:16

あいかわらず craigslist は《ある》よね。僕は、アクセスしたことは何度かあるけれど使ったことはないし、はっきり言えば興味もない。でも、ああしたテキストだけでやりとりする仕組みそのものはあっていいし、しょせんあれでいいという場合も多いのだろう。人が情報を探すのに、スタイルシートや画像であれこれと作りこまれた《美しくて》(ユーザビリティだの UX だのという基準で設置された)《使いやすい》ボタンなんて、別にウェブサイトの UI として不可欠でもなんでもないからだ。こう言ってよければ、真の《ユニバーサル・デザイン》に最も近いのは、視覚と聴覚と四肢を亡くした人にも情報を伝達できる(《適切に理解できる》かどうかは別の問題だ)コンテンツであろう。この条件さえ満たせば、言語や記号について理解している限りで、その言語や記号を使って表現されている情報は、視覚と聴覚と四肢に不足の無い「健常者」にも伝達できる筈である。

そのようなコンテンツの presentation が、健常者にとって分かり辛く回りくどいものになるとは限らない。それは、ビジュアル・デザインとか文章構成とか知覚心理学とか Human Computer Interaction (Interface) の高度な教育を受けて研鑽した経験のない素人による思い込みだ。回りくどい文章に見えても、実はそれだけ丁寧に脈絡や前提を説明したうえで何かを叙述すれば、多くの健常者が短く(それを科学論文のような straightforwardness と混同している人は多い)書かれたというだけの文章から思い込みで勝手に理解していたようなことがらを是正できる可能性もある。

僕が philsci.info で、とりわけ哲学や思想の通俗書で採用される安易な挿絵とか図表に、元デザイナーとしてだけでなく哲学者として不愉快な印象を覚えるのは、彼らのそういう意味でのプロ意識のなさに加えて、visualization についての学術的な見識のなさという重大な欠陥を何年も放置し続けているからだ。たとえば世界中の大学を探してみても、哲学科のゼミや講義でアナロジーや喩え話や図表の使い方を、情報伝達の実務として教えたりテーマにしている哲学者は殆どいないだろう。もちろん、そういう「殆どいない」ことに僕が気付いているという安っぽい自慢話をしたいわけではない(この程度は、プロパーだろうとアマチュアだろうと有能なら誰でも気づくし理解できるだろう。それに、哲学者としての有能さなんて実際のところ飯を食ったりサバイバルの役に立つとは限らないわけで、卑下するようなことでもないが、自慢にもならない)。学校制度なり高等教育制度の中でしか正統性をもたなくなった哲学の学び方においては、もちろん正統性は正当性とは違うわけだが、特定の脈絡を共有する集団だけで情報なり議論が交わされている場合に、そこで《通用する》理屈や言い回しを乱暴に持ち出して通俗本を書いたところで通じないのは自明だが、それを幼女とか、半分尻が出ているセーラー服の女子高生を使ったイラスト(あくまでも安易な visualization を揶揄するために引き合いに出しているだけであり、哲学の通俗書でそういうエロ漫画みたいなイラストが使われている事例はほぼない)にすればいいという安易な発想を出版社の編集者と一緒になって錯覚するのはやめてもらいたいということである。

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