Scribble at 2026-04-26 17:04:27 Last modified: unmodified

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「3人で30分議論して出た結論がAIに3秒で否定される、そんなことも多く、結構がっかりすることもあります。ただ、議論した内容はそれなりに意味のあることかなとは思っています」

「AIを使えば全員同じになる」 羽生善治九段が語るAI時代の差別化と意思決定

生成 AI の仕組みを理解すると分かってくるように、生成 AI の出力は全くのランダムやデタラメではなく、もちろんプロンプトやシステム・プロンプトや多くの設定項目によって制御可能だ。その中で、或る程度の多様性を確保している。しかし、ノイズから所定の結果を導き出すときに、初期条件として与えられるパラメータは多様性という目的があって一定のばらつきがあるけれど、ひとたび初期条件が決まれば、そこからの逆拡散プロセスは許容範囲の中で大局的に眺めると「決定論的」と言えるような処理を実行する。したがって、シードと呼ばれる初期値を与えて一定の多様性を確保する場合でも、プロンプトとして「ドナルド・トランプ」を描くように命じた結果が「『551の蓬莱』のアイス・キャンデー」になったりはしないわけである。

生成 AI は、したがって羽生氏が指摘するように大局的には OpenAI のであろうと DeepSeek のであろうと Anthropic のであろうと、「同じこと」をする可能性があり、それは機械学習という数学的な枠組みにおいては避けられない数学的な制約ゆえであって、それを否定しては生成 AI としてそもそも動かないと言えるような要件である。そして、そのような制約は人が思考したり議論するときの認知的な制約とは異なる。羽生氏が語っているように、人は他人と議論しているあいだに相手を牽制したり、相手の発言で不安を感じたり、あるいは相手に一定の印象を与えるためのブラフを使ったりする。しかし生成 AI は不安を感じたり、相手を打ち負かす野心もないし、プロンプトを入力されて動揺することもないので、その手の心理的・認知的な制約に基づく選択をしない。しかし、生成 AI の成果は生成 AI が再利用するためだけではなく、人にも利用されるものなのだから、人の思考や判断が介在することで生じるような、特殊な制約にもとづく結論にも一定の効用がある。そして、それは生成 AI の成果とは異なるものの、生成 AI のための成果ではないのだから、それを一律に生成 AI とは「違う」というだけで否定しては、少なくとも生成 AI を利用している当の人の社会において有効な活用とはならないだろう。

これを、一部の人々が言うような「劣等な主体(人)に最適化する間違った活用だ」と冷笑するのは勝手だが、重要なのは、その冷笑している人々こそ「劣等な主体」なる集団の一部であるという事実だ。生成 AI と我々の成果とを比較する基準を作ったり、両者を評価するということを止めてしまえば、それこそなんでも生成 AI の成果に委ねることになり、それはつまり人が評価する知性を放棄したという意味での「下向きのシンギュラリティ(人類が馬鹿になることで達成される人工知能の優越)」になろう。

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