Scribble at 2023-07-10 22:27:27 Last modified: unmodified

僕らは子供の頃から実にたくさんの広告に接してきている。ラジオでも、テレビでも、あるいは新聞や雑誌でも、それから町中では見かけなくなっているが、電柱やら公衆電話ボックスには質屋とかデリヘルとか高利貸しとかクソ宗教の勧誘とか水漏れ工事業者などのチラシが貼り付けられていたし、子供の頃に遠足で足を運んだ山奥の集落の壁にも、松山容子が『ボンカレー』を手にしたり、大村崑が『オロナミンC』を手にしたポスターを見つけては、或る意味でゲンナリしたものである。

しかし、覚えている広告は確かに多いけれど、それらの中にはコマーシャルで誰かが口にしたフレーズだとか、あるいはコマーシャルに流れていた曲だとかを覚えていても、はてそれが何の広告だったのかは覚えていないというものもある。そして、しばしば広告のクリエイターというのは、そういう事例でも記憶に残ってさえいればクリエーティブの勝利だと言う傾向があり、僕は首肯しがたいものを感じる。まさか、いまどきサブリミナル効果なんていうオカルトを信じている広告マンはいないと思うが、本来の宣伝するべき商品なりテーマを記憶してもらえずに、そのフックにすぎない効果音やキャンペーン・ソングやキャッチ・フレーズしか覚えてもらっていないというのは、僕には商業広告としての「失敗」だとしか思えないからである。要するに、クリエーティブがビジネス目標への効用を遮断してしまった事例というわけである。

したがって、やはりベタでもなんでも、フレーズそのものやキャンペーン・ソングの歌詞に記憶してもらいたい商品名やフレーズを違和感なく含めることが効果的だと思う。「なら、健康、ラ~ンド♪」とか、「関西、電気、保~安、協~会♪」とか、そういうのが結局は広告としての本来の役割を効果的に発揮するわけである。いかにカンヌでサイバーライオンを獲得しようとも、誰も何の広告なのか覚えていないなら、やはりそれはビジネスの成果としては二流と言わざるをえない。もちろん、そのときだけの刹那的なパブリシティを目当てにした手法なら、数ヶ月後には忘れられてもいいという割り切りで制作することもあろう。

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