Scribble at 2021-02-05 10:31:58 Last modified: 2021-02-05 10:34:55

しばしば、仏教は哲学でも宗教でもないと言われることがある。よって、仏教が anti-natalism のような学説なり思想を直接に支持したり反対しているかのような扱いをするのは、かなり軽薄だと思っている。僕が2年前に母親を亡くしてから少し調べた限りでは、僕が考える哲学というものは寧ろ倫理学よりも仏教に近い。人であることの限界なり、そういう自意識の価値なり、人として生まれ育ってきたわれわれには不可避の制約がある。僕は、哲学はそういう制約の中にあることを強く自覚しながらも、その制約を越えるような観点を作り上げることに価値があると思っていて、それをすごく平たく表現してしまうと、いわゆる「常識批判」のようなフレーズとか、もっとテクニカルにすれば critical thinking のような討論ゲームのようなものになる。しかし、重要な一点、つまり哲学において問われたり思考の対象となる事柄は、ヒトという生物種が宇宙にあろうとなかろうと成立するような事柄への問いでなくてはならない。どこかで、ヒトという生物がいてこそ成立するような脈絡に回収されてしまうと、それは哲学の問いではないという気がする。そういう問いは、どれほど高尚な哲学的命題を装って、Oxford University Press から大部の本として出版されるようなテーマであろうと、しょせんは今日の晩御飯の献立は何にするかという問いと同じものでしかないのだ。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Twitter Facebook