Scribble at 2025-02-12 21:17:32 Last modified: 2025-02-12 21:22:58

本日は久しぶりに出社してジュンク堂へ行ってきた。いつものように色々な分野の棚を眺めていて、経済の棚では原書が出たときに読もうかなと思っていた『Repair』が翻訳されていることを認めた。

その背表紙を眺めながら思ったのだが、結局のところ人文・社会系の古典研究というのも "repair" というコンセプトに近いものがあるのではなかろうか。古典的な著作に読み取った「良質な教え」を掬い上げて、今日的な脈絡と言語的な条件において展開しなおして、次の世代へ伝えようというわけだ。多くの研究者なり読み手が、こういうことを繰り返し続けてことによって、何か良きことが続けられたり守られるのではあるまいかというわけだ。このような、「ポジティヴ思考」と言っても良いモデルを想定して古典研究の意義なり、それこそ人文・社会科学の研究を正当化したり擁護するというアプローチで、一般人なり初心者を説得できるのかもしれない・・・

なーんていうことを想像してしまう、いわば「偽善者モード」というのが僕にもあって、なにかをきっかけとして善良なおじさんが言いそうなセリフや思考が頭に思い浮かぶことがある。ふだん、この落書きで書いているような内容に比べたら、フェミニストに怒られそうだが「軟弱左翼の Z 世代や女子供にはウケがよいパーソナリティ」として YouTuber だの通俗本の著者としてプロモートできるのかもしれない。

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