Scribble at 2024-06-14 20:58:20 Last modified: 2024-06-16 08:15:59

「マイクロアグレッション(一つの単語なので「・」で分割はしない」について少し調べている。何かの冗談かと思う人がいるかもしれないし、くだらないブラック・ジョークだと訝るかもしれないが、僕は偏見や差別は是正するべきだと思っているし、偏見や差別やヘイトは誰にでも起きる(誰でも「する」側になりうる)し、そして誰に対しても起きる(誰でも「される」側になりうる)と思っているから、これは要するに全ての人の課題であり、したがって家族、グループ、地域、集団、国という、全ての人間関係の課題なのである。そして、このスケールで人の思考や生活についての共通した特性を見出したり描き出して、良いと思うことや悪いと思うことを抜き出して、それらを評価する基準とともに多くの人々の吟味や反省に供する。これが、僕が考えている「人類史スケールの保守思想」のアプローチでありスタンスだ。どうして僕が「日本なんて些末なスケールの伝統なんざどうでもいい」と断言するか、これでお分かりであろう。このスケールの思考についてこれず、知的に軟弱な右翼やすっとこどっこいのネトウヨと一緒にグズグズと些末な出自や風習にばかりしがみついているような人々は、結局のところ哲学的な思考というものに適応できないという致命的な限界がある。だから、そういう連中の多くは短絡的な反知性主義に陥るのだ。

で、このマイクロアグレッションだが、色々な解説のページや定義を眺めていると、どうも妙な印象を受ける。第一に、こういう議論が大好きなのはやはり社会学者なので、色々な細かい区別や個々の状況に専用の名前をつけて喜ぶという三流の博物学みたいなことをやってる人が非常に多いんだよね。そして、そんなていどのことをやってるだけで、何か社会貢献というか、正義というか、恥ずかしいくらいの馬鹿だけど、そういう価値のサポートにコミットしているかのような、或る意味では歪んだ優越感というか、そういうものを感じる。

なので、やっぱり社会学者って、文化人類学者みたいに海外で調査するお金がないから近所のキャバ嬢をフィールドワークして学者になろうみたいな連中なのかなと思ってしまうんだよな。民俗学もそうだけどさ。正直なところ、ものごとを細かく分類してるだけで、いったい何の成果が出てるのかまるでわからないんだよね。あれは何とかアグレッションだ、これはしかじかアグレッションだと言って、なんにしてもこれは「差別や偏見だから気をつけようね」と言ってるだけなのである。あるいは X とかにいる暇人の揚げ足取りみたいなのと同列のことをやっているようにしか見えないんだよね。X とかにいる「思想警察」や「PC警察」の素人なんかは、要するに無教養で学識がなくても、どういう表現が「ヤバい」かっていう感度だけで警察官をやって、それを見つけては騒いで炎上に持ち込んだら主観的に成功ってことだよね。そういうのと、旧帝大とかで偉そうに「マイクロアグレッションとは云々」とか講じてる連中に何の違いがあるのか分からない。

どうしてこれをマイクロだか何だか知らんけど、明白な差別に対する「無自覚な差別」とだけ言ってはいけないのか。その「マイクロぐあい」が色々あると、知らずに発言していた人にとっては心外だと思うかららしい・・・いや、じゃあそれで免罪するのかよ。結局は、学問としても、それから社会的なアクションとしても、やることは同じだろうに。じゃあ、そこでそんな細かいどうでもいい区別をしてなんの意味があるのか。そんな区別で、効果的かつ正しく差別や偏見を是正できるのかなっていう強い疑問がある。

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