Scribble at 2023-09-09 11:36:34 Last modified: 2023-09-10 09:22:00

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要するに、あの戦争のなかで圧倒的に多くの兵士たちは、さまざまな「不公平」に苦しめられながらその生をねじ曲げられていたのであって、そこから脱出することなどかなわなかった。だから、もし現在の境遇からの脱出をめざして戦争に賭けたとしても、それは裏切られるというか、負ける可能性のきわめて高い賭けではないだろうか、と思う。(p.271)

一ノ瀬俊也『皇軍兵士の日常生活』(講談社現代新書、2009)

上記は殆ど最終部と言ってよい箇所からの引用だが、これは逆に冒頭部で導入される、戦争になれば何か変わるかもしれないという、Twitter でネトウヨが盛んに喚いている、戦争待望論とか、「リセット主義」とか、現世を舞台にした転生ラノベとか言われるものへの一つの回答になっている。そして、僕も著者と同じ意見だ。そもそも、こういう妄想が本質的に無邪気であるがゆえにきわめて悪質なのは、それが実現したら自分だけではなく膨大な人数の他人も巻き込むという、小学生でも分かるはずの推論ができていないというところにある。しかし、自分がいいと思った世の中になれば他人にとっても良くなる筈だという思い込みによって、そういう想像力は簡単に打ち消されてしまうのが、頭の悪い人間の最も困った特徴というものである。

ちなみに本書で一つ詳細が分からないことがあった。それは、例の南京事件が起きていた当地にいた兵士が家族に宛てて「虐殺」の様子を書き綴った手紙が、どういうわけか検閲を通過して届いていたという事例の話だ。僕は、これを単純に「南京大虐殺」が起きていた証拠だと言うのは安易だと思う(もちろん日本軍がアジアの各地で蛮行を働いていた数々の事実を否定するつもりはない。アイヒマン実験を例に出すまでもなく、凡人なんて戦争になったら同僚の死体を食ったり幼女を強姦したり、何だってやるのだ)。検閲を通過したということは、逆に言えば敢えて虐殺の描写を「戦果」として伝えるべく、兵士が上官からそう書かされていた可能性だってあるからだ。

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