Scribble at 2024-11-27 20:56:16 Last modified: unmodified

今日は出社して・・・という書き始めて、もうかれこれ5本くらいの落書きを書いては、お蔵入りにしている。なので、そもそも文字数の制限がないと言っても、別に短くたって誰に怒られるわけでもなし、書きたいことを単刀直入に書くだけとしよう。

13時頃に会社を出てジュンク堂へ足を向けた。たぶん2時間くらいいたと思うが、もちろん役職者はそもそも裁量労働なので、一日の実働時間が5時間だろうと12時間だろうと人事考課には殆ど関係がない(但し、月間の最低勤務時間は決まっているので、勤怠システムへの打刻は重要だ)。

幾つかの棚を眺めていて、もちろん職務上の関心から個人情報保護法や内部監査、あるいは会社法の棚も眺めていたのだが、いつも足を向ける文化人類学の棚で、そろそろ Tim Ingold は読もうかなという気になってきた。もちろん手元に置くべきと見極めるまでは図書館で借りるのである。ただ、マスコミ的にキャッチーな「科学への不信」みたいなことで売れているらしい人物なので、いくら西洋、なかんずくアメリカの科学哲学とは距離を置きたいと明言している僕でも、迂闊にこの手の著作に引きずられるようなことがあってはいけない。僕が構想している、西洋とか英米(いや更に言えば白人とかランド研究所など特定の脈絡)に拘泥しない科学哲学というのは、僕自身が色々な見聞を経て自律的に構想してる新しいアプローチなのであって、いわゆる日本国内で売れているだけのポストモダン音頭を一緒に踊るつもりはない。というか、僕も高校時代にフーコーやデリダを読んでいた人間なので無関係ではないが、少なくとも僕が見ている限り、フーコーやデリダの成果を真面目に受け取って引き継いでいるような学者は一人もいないと思う。東浩紀? 冗談じゃない。適当にファッションで言ってるだけではなく国公立大学の博士課程で学んだ者として言わせれてもらうが、アマチュアであっても哲学者を舐めるんじゃないよ。

・・・と、すぐに話が脇へ逸れてしまうので、書き直しになってしまうのだ。本来は、ジュンク堂でオースターの『4 3 2 1』の翻訳が出ていた事に驚いたという話をしたかっただけなのだ・・・まぁ、原書はあるし、訳本は6,500円もするから買わないし、図書館でも借りないと思うけど。

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