Scribble at 2021-11-04 12:21:43 Last modified: 2021-11-04 13:20:21

母親が亡くなってから、離れて暮らす父親に毎晩の20時頃に電話をかけて、世間話のついでに様子を聞いている。そのときに、久しぶりに「疎開道路」とか「生野本通」という言葉を聞いた。大阪の生野区には、いまや父が独りで住む僕の実家があって、近くに「疎開道路」と呼ばれる広い道がある。現在の正式名称は「大阪市道上新庄生野線」というようだが、実家の周辺に住んでいる人で、そんな名称を知ってる人は殆どいない。だが、昨今はタクシーの運転手が「疎開道路」と聞いても分からないらしく、どうもちぐはぐな感じになっている(僕の自宅周辺にある古い地名も、年配のタクシー運転手しか分からない)。

なお「疎開道路」という名前の由来は、第二次大戦時に防火空地帯として道の幅が強制的に広げられたことによる。多くの方は、「疎開」と聞くと戦時中に都市から農村などへ避難することを想像すると思うが、「疎開」という言葉には、建築物の延焼を防ぐために道幅をわざと広げるという意味もあるのだ。

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