Scribble at 2020-06-27 11:45:03 Last modified: 2020-06-27 12:14:49
コンピュータを使うための HCI という環境は、まだまだ過渡期と言っていい。キーボード、マウス、それからウェブ・カメラやヘッド・セットも含めて、これからも改良だとか製品の刷新が続くことだろう。寧ろそれがないと、現状のままではコンピュータを使い続けるのは辛い。特にマウスは、これまで色々と書いてきているが、僅かなスナップで標準的な値よりもたくさん動く設定にしているのも(初めて僕のマシンを使う人は、まず HHK あるいは英語配列に戸惑うが、ポインタの極端な速さにも戸惑う)、結局はマウスの扱いに難儀しているからだ。
こういう変な設定にしていて言うのもおかしいが、僕がトラック・ボールを使わないのは指先で微妙な動きを制御するのは逆に肩が凝るからだ。実際にこれまで二台ほど購入して、数年おきに再チャレンジしてみるのだが、一週間も経たずに「これはダメだ」という結論に至る。腕や手首という大きな動きの中で手首のスナップていどの動きで制御するからこそ、Photoshop 上でカラー・ピッカーを動かしたりするような細かい動きを継続できる。最初から指先の動きだけで、腕全体を使うような動きから細かい動きまでを全て制御するのは、たぶん生理的に無理があるのではないか。実際、これとよく似た状況は大昔にも感じた。
恐らく40代以上の人しか記憶していないと思うが、1980年代のゲームセンターに置かれていた筐体型のゲームでトラック・ボールを使うものがあった。確か、画面の上から出現するミサイルをトラック・ボールで制御する迎撃ミサイルで撃ち落とす体裁のゲームだったと思う。(あやふやな話をしていても仕方ないので改めて調べてみると、ATARI の "Missile Command" というゲームだ。)トラック・ボールは、簡単に言えばローラー・タイプ(既に昨今ではレーザー・タイプしか使ったことがない人もいるとは思うが、マウスには小さなボールを動かすタイプもある)の仕組みをさかさまにしたようなものだ。マウスを固定して、マウス・パッドの方を動かしているようなものである。仕組みは単純だが、機構をさかさまにしただけで急に操作が難しくなる。その当時、もちろん1980年代だからゲーセンに来てるガキなんて大半がパソコンなんぞ持ってはいないから、マウスを使ったことはなかっただろう。それでも、いきなりマウスとトラック・ボールを使えと言われて使えるようになるのは、もちろん歴史が証明しているようにマウスの方であり、トラック・ボールは操作が難しいからこそゲームの UI として採用されたのであろう。
だが、何度も書いているようにマウスが最善のインターフェイスなのかと言えば、そんなことは全くない。マウスは疲れる。実際、よくよく思い出してもらえば分かると思うが(というか、多くの方はパソコンでこの文章を読んでいるだろうから、いま自分がマウスを手にしている状況を見てもらえばいい)、僕らは無自覚ながらも指をずっとマウスのボタンの上で浮かせている。これは、自然にやっていることのように見えて、実際にはそういう体裁として筋肉の状態を維持しているわけなので、確実に疲労の元になっている。そして、指の筋肉を弛緩させてマウスに置ける自然な角度というものは、人によって異なる。よって、「エルゴノミクス」という言葉はあるものの、僕はそういうキャッチフレーズの製品は殆ど信用しない。たいていは、人によって異なるパラメータの平均や最大公約数で設計しているだけの、実は誰にも微妙にフィットしないガラクタにすぎないからだ。
ということで、有望な若者諸君にはマウスを駆逐してしまうような HCI の理論なり製品設計を期待したい。実際に現在も色々な製品があるのは知っているが、どうも僕が上記で書いているような、指先などの微妙な動きで制御するという間違った考えで設計されているものが多く、いまのところ失望している。一つだけ最後に言わせてもらうと、ヒトの身体とか筋肉の状態に《フィットした》形状ならいいとは限らない。既に述べたように、そんな形状は世界中の個人によってそれぞれ異なるからだ。例えば、新しい設計のマウスを設計するにあたって、エルゴノミクスから言って操作に最適なパラメータが何かあって、それは人によって小数点以下第2位までの値が 0.01 から 0.99 まで違っていて、この値が 0.01 でも違うとユーザは違和感を持ったり疲れて使わなくなるとしよう。これは極端な想定だが、逆に人の使う道具の感じ方がこういう微妙なものではないとア・プリオリに断定できる根拠もないだろう(「ア・プリオリ」なんて書くのは何年ぶりだろう)。このような想定で、エルゴノミクスを強調した製品を、このパラメータを採用して 0.01 から 0.99 まで 0.01 のステップで99種類のマウスとして設計し新製品の提案書を出してくる技術者がいたら、当然ながら僕らのような役職は「アホか」と提案書を突き返す。《人によって異なる》課題を、単純に《人によって異なる》対策として解決しようとするのは、たいていのプロダクト・デザインにおいては無能がやる発想だからだ。そのようなパラメータの分布があるなら、たいていの事例では(正規分布でなくとも)一定の偏差というものがある筈だ。(というか、もし全く偏差がなくて 0.01 から 0.99 まで 0.01 のステップで該当する人がちょうど同じ数ずつ存在しうるなら、それ自体が統計学的には《異常なこと》だと言ってよく、その事実自体にもっと根本的な共通の原因がある筈だと考え、寧ろその共通原因に適した設計をすればいいのではないかという話になる。)よって、正規分布なら最も売れそうな範囲のパラメータだけを設計に反映させたらいいし(「エルゴノミクス・デザイン」などと称して発売されているガラクタの大半がこれだ)、パラメータを反映させると形状が大きく異なるようであれば、一定の範囲で何パターンかを(もちろんそれらがそれぞれ収益を上げられる見込みがあれば)設計すればいい。
かようなわけで、物理的に決まった形状の商品というものは、そのデザインに一定の見込みとか限界というものがあって設計されているのだから、万人に適した形状など最初からないのである。もちろん、例えばマウスのボタンの角度を1度から 0.1 度のステップで9度まで変えられるような機構をもつ製品を設計することはできるだろう。販売する相手つまりマウスを実際に使うユーザにとって必要なのは、それら100種類の中の1種類の角度だけだ。それをユーザは自分で選べるという利便性はあるものの、そういう機構を組み込むだけのことでコストがどれくらい上がるのか。そして、実際のところユーザがそういう機構に価値を見出してくれるのかどうかも不明だ。事実、Windows ではレジストリなど変更することなく、コントロール・パネルでマウスの速度を或るていどは調節できるが、世の中の大半のユーザは自分でそれを調節したりしないし、調節するにはどうすればいいか調べたり、果ては調節したいとも思っていないらしい。もちろん、同じく世の中の大半のユーザは、実際にそういう調節が必要なほどコンピュータを使っているわけでもなければ《使える》わけでもないので、そういうことに無頓着でもいい。そして、現実に発売されているコンピュータでマウスの速度を設定したり、マウスを販売している事業者というものは、《そういうユーザ》を正規分布上で最も適合しやすいユーザとして想定しているのである。