Scribble at 2022-12-22 09:21:15 Last modified: 2022-12-22 11:50:46

先日、森浩一先生が出演されていた『真珠の小箱』のテープをデジタル化したり、Adobe のクズみたいな音声加工サービスを試してみたという話題はご紹介した。そして、この番組内容を改めて丁寧にご紹介するとともに、「箸墓古墳」(本来は、僕も森先生の方針に従って「箸中山古墳」と呼ぶべきだと思う)の概要を合わせてご紹介する記事も来年に公開したいと予定している。

ただ、「箸墓古墳」を扱うからといって、卑弥呼がどうのこうのという話を期待されても困る。これは考古学者を嘱望されていた中学時代からの持論で、当時の森先生だけでなく、教えを乞うた瀬川芳則先生や末永雅雄先生も困惑されていたようだが、当時の僕は歴史や考古学についてのアマチュア嫌いで、テーマとしても巨大古墳や邪馬台国に関わるのが極端に嫌いだった。要するに、考古学者を好事家やトレジャー・ハンターであるかのように見做されるのが自意識としても耐えられなかったわけである。よって、小学生の頃から settlement archaeology の専攻を志望していて、簡単に言えば平凡な人々の過去の暮らしを調べて学ぶことに強い関心を持っていたわけである。豪族や天皇が何をしていたかなんて、どうでも良いと思っていた。昭和の現在に住む僕らも、こういう人々が何をしてるかなんて関係なく生きてるじゃないか、というわけである。まるで考古学界の左翼少年だ。『大鏡』に関連する本を読み漁っている今から思えば、随分と(いまでもそうなのだろうが)いけ好かないガキだったのだろう。でも、僕はそのころが懐かしい。小説家のような素人が描く「古代のロマン」を一蹴し、現地説明会へ物見遊山のごとく集まってくる自称考古学ファンを(これはさすがに中学の先生に怒られたが)「carbon dating の基礎化学も知らないハエ」と呼んだこともある。これと比べたら、今は人間が丸くなった(と思う)。

あと、そういうページを作ろうと予定している理由は、もちろん「箸墓古墳」についてウェブ・コンテンツを検索するとゴミだらけだからだ。卑弥呼がどうとかいう素人の妄想は別に構わないが、素人が「箸墓は卑弥呼の墓であると確定しています」みたいな嘘を平気で書くから困る。そして、ご承知のとおり無知無教養な連中というのは、言動に野心や邪気や悪意がないからこそ、社会科学的に掃除することが難しい。バカに「おまえはバカだ」と言ったり、悪人に「おまえは人でなしだ」と言って改善されるくらいなら、たぶん人間の文化に社会科学と言う学問は成立していなかった筈である。よって、まともなリソースを検索結果に出すということくらいはしておかないと、検索結果の画面が(いまでもそうだが)ゴミだらけになってしまい、もちろん素人にはそれがゴミだと分からない。ゴミの中から「きれいなゴミ」を見つけるのがネットの楽しさだなどと、老人が死に際に語る趣味の話みたいなことになるわけだ。これでは手に iPhone を持っていようと、われわれは「iPhone を手にしたサル」でしかあるまい。

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