Scribble at 2022-08-29 09:48:40 Last modified: 2022-08-29 11:33:35

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一歩国外に出れば日本の大学など誰も関心がないのだから、どの大学に進学しようが大勢には影響がない。そんなことより、高校時代の貴重な時間とエネルギーを見当違いな英語の勉強に使って、「残念な英語学習者」にならないことだ。

「残念な英語学習者」にならないために ―石井智子

[追記:ちなみに、この落書きは今日の午前に更新した、当サイトで公開している「英語の勉強について」(https://www.markupdancing.net/archive/20190219-134200.html)という論説に関連して読んでいた記事だった。あまりにも酷いので、ここで単独の落書きとしてつるし上げておく。]

それはそうとさぁ、経済誌のサイトで勤め人に配信してる釣りネタの記事みたいな調子で「このような日本人の若者にはいくつかの共通点があるのだそうだ。それは:①英語ができない。②リサーチしてpaper(学期末レポートや小論文)を書ける、という意味での基礎学力がない。③コミュニケーション能力が低い」とか書いてるけど、この箇条書きって上に引用した英語の勉強方法の話と何の関係があるの? このように、英語ができるというだけで文章構成力のない無能が、たまたま自分がやってきたことだけを足掛かりにして他人に勉強方法を指南するなんてことをやってるからこそ、日本に限ったことじゃないけど生活方法としての外国語の教育は難しいわけだよ。

たとえば、前の段落で引用した中国に留学してくる人々の話は何がいいたいのか。そういう共通点を持つ人たちは、〈やはり〉中国語も満足に習得できないという結果が出ているのか。英語の勉強ができなかったからといって、中国にやってきても中国語を習得できないとは言えまい。なんといっても、日本は世界でも有数の〈英語教育後進国〉として知られているのだから。あの、YouTube で動画をばらまいてるクズみたいな発音のインド人にすら文句を言われるのだから、目も当てられない。そういう馬鹿な教育者がたくさんいるところから中国へ留学してきたのだから、学習する環境は異なる。よって、その結果が違っていてもおかしくはない。中国で中国語を教える人々が日本で英語を教える人々と、教育者として同等か劣っていると言いうる根拠など何もないだろう。

あと、こういう気楽な文章で適当なことを書く人たちって、「残念ななになに」とかすぐに言うんだよ。でもそれは、本当のところ誰にとって残念なのだろうか。きみらのように、英語を教えると何十年も言い続けてロクな成果を出していない、三流の教育者が妄想する理想と比べてということだろう。自分たちですら実行して見せたこともないような妄想の勉強法だ。いい加減に、自分でやってみたこともないような方法を適当に公の場で書くのはやめてもらいたい。たとえば、自分自身が立教ていどの大学を出て自分は英語をこれだけできるというのは結構だが、それは〈英語しかやってなかった〉という欠陥や偏向や不足を立証する事例でもあるのは、上の文章を読めば分かる。そうでないと言うためには、(1) 英語教育以外に何の業績を人として出したのか、(2) どこの大学でもいい(同じ結果が出せる)という根拠は何なのか、この二点くらいは明快に説明するのが、大学に籍を置く人間の責任というものであろう。

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