Scribble at 2020-07-24 13:01:53 Last modified: 2020-07-24 13:04:43

"nominative determinism"(主格決定論)という言葉がある。もちろん "determinism" という表現は大袈裟だし、特に強い科学的な仮説とか証拠とか論証があるものでもない。はっきり言えば都市伝説や言葉遊びや幼稚な陰謀論のようなものであり、真面目に議論の俎上へ載せようと思えば心理学や社会学の広範で厳密な素養が求められるだろう。で、肝心の意味はというと、人の能力や業績は、その人に付けられた名前が影響しているという話だ。これだけだと、その辺の道端にいる易者が話すデタラメな作り話と同じであって、科学どころか学術が取り扱う仮説や主張の類にもならないだろう。「河本孝之」という僕の名前は、僕の人間性を形成したり経歴や業績に何か影響があったのだろうか。しばしば電話口で名前の漢字を相手へ説明するときに、「親不孝の『コウ』」などと言ったりして相手から苦笑されるわけだが、「孝」という漢字があることによって、人は親孝行するのか、それとも親不孝になるのか。恐らくは、これも positive / negative な生存者バイアスの一種だろうと思う。成功した人物の名前の一部を取り出したり、逆に犯罪者の名前の一部を取り上げては、これこれの言葉が隠れているといった占い師やセラピストのような storytelling で人々から小銭を巻き上げるわけだ。そして二言目には「こういうストーリーでも、当人が満足しているならいいじゃないですか」とくる。僕は、この手の弱々しく《善良な動機だけをもつ凡人》どもの、何度叩き潰しても繰り返し現れる控えめな反知性的活動というものが、結局は人類の行く末を地獄に定めるのだろうと思う。

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