Scribble at 2021-05-07 00:18:50 Last modified: 2021-05-07 00:22:15
そして、ときどきノスタルジックというかファンタジーの一種だと思うが、こうした「戦後教育」で育った官僚に比べて旧制高校の学生はどうといった昔話をする人が10年くらい前まではいたのだが、もうそんなものを信じる人なんていない。そもそも、そういう戦前の官僚が愚かな太平洋戦争を引き起こしたという動かぬ明白な事実がある以上、いくら旧制高校の学生が揃いも揃って岩波文庫を読破していたとか、帝国海軍の将校がみんな「哲学書」を読んでいたなどという類の神話を撒き散らしたところで何の説得力もない。
要するに日本の官僚は明治時代どころか日本に「官職」というものが成立してからこのかた、ずっと同じような程度の仕事をしてきたというのが実情ではなかろうか。簡単に言えば、大半が東大を出て公務員試験に合格していようと、しょせんは学部卒の素人である凡人による凡人のための官僚制である。多くの構成員が最低でも修士号を持っているような海外の官僚機構や、中国の科挙みたいな熾烈を極める試験を潜り抜けた精鋭を揃えている官僚機構とは、そもそも歴史的な脈絡から言っても制度的な厳格さから言っても比較にならないのである。
そして、こういう下方圧力や結果平等こそが「民主的」な制度であるという根本的な誤解を150年も制度内の実務や教育課程に反映させながら連綿と受け継いできているのだから、21世紀が始まって20年しか経たないわけだが、世も末と言ったところだ。それにしても、蓮實重彦という人物については、僕は80年代に蒙昧な議論を展開した一人として十把一括に切り捨てていたのだが、なかなか面白い。もっとも、こう言い出せば柄谷行人だって素人分析哲学者として「面白い」ことは幾らでも言っていたわけである。