Scribble at 2017-01-31 08:58:37 Last modified: 2022-09-15 10:54:58

Twitter の哲学クラスタでしばしば見かけるのだけど、どれほど通俗文化や芸術あるいは「哲学とは懸け離れているように見える話題」に関心があるとアピールしていようと、業績を出さなければ学術研究者は「無」だ。授業するか論文を書いたり口頭発表してこそ、彼らは給料をもらう意味がある。科学哲学者が親鸞とか、あるいは分析哲学者がワインだ歌舞伎だと語るのは、端的に言って昔ながらの「哲学者=碩学」という漫画的な自意識を現代風にアレンジしただけにすぎない。そういう点についてだけ言えば、アメリカ大統領が街中のホットドッグ屋へ立ち寄るパフォーマンスなどと変わらないし、そういうことが人としての哲学研究者を何か「適正な姿へ補正する」と思い込んでいるなら、それこそ単なる英語秀才ていどの知能しかない無能がやってる、漫画的な「偉人」や「スター知識人」の猿真似と言うべきものだろう。切実に哲学をやりたい人は、そういう自意識に憑りつかれた人が多く見受けられる Twitter でプロパーをフォローしても得るものは少ないと思う。彼ら自身こそが、人が哲学するにあたってのノイズを撒き散らしているのである。

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