Scribble at 2023-06-02 15:16:50 Last modified: 2023-06-02 17:44:21
スキルは1流、人事考課は2流、年収は3流、恵まれない天才科学哲学者としてコメントを書いておこう。この人も、昔気質の「芸人」だったわけだが、でも本当のところは「芸人」になり切れなかったのではないか。そういうアンビバレントなところが昨今の芸人にも別の意味であるわけだけど、昨今の芸人って、若造のくせにやたらと社内政治とか行政との利害関係とかを基準にメディアで発言したり、あるいは自意識というか自分自身のマーケティングが優先で芸は二の次というのが多すぎるよね。だから、大して芸もなければ実績もないのに、数年ほど漫才やコントをやったら、すぐに雛壇芸人やバラエティの司会に収まって楽な仕事ばかりするようになる。上岡氏自身も、そういう傾向の先鞭を切ってしまったという自責があったのではないかと思う。
『パペポTV』を観ていた頃から気にしていた人物だが、彼が引退してから出た『上岡龍太郎 話芸一代』(戸田 学/著、青土社、2013)を一読して、彼は引退して気楽になったのだろうなと思う。同じ頃に、サリンジャーやハーパー・リーの評伝を読んだときにも似たような印象をもったのだけれど、正直、生きていくのに何も困らないだけの資産があれば、作家や芸能人なんて続けてもそんなに楽しい事なんてないと感じていたようにも思う。「芸人」というのが、当人は古いタイプの「芸人」だと思われてるのに、嫌いだったんじゃないだろうか。反社も含めて面倒臭いことに巻き込まれやすいし、他人からの目は気になるし、色々なことに気を使わないといけない。それで大金を手にしたところで、できることと言えば、せいぜいハワイに別荘を買ったり、一等地に豪邸を建てたり、外車を何台か買ったり、高額な絵画を飾るとか、彼のような人物にしてみれば「どうでもええ」ようなことしかない。かつての同僚は大阪府知事にまでなってしまったが、上岡龍太郎という人物だったら、どこから頼まれても政治家になどならなかっただろうし、現にそうだった。世の中を良くしたいなら、政治家なんかに任せて文句を言ってないで自分でやれと言いそうだ。