Scribble at 2020-09-09 10:43:52 Last modified: 2020-09-09 10:47:14

Twitter でホリエモンが「留学は無意味」とか言ったのどうのと騒いでいる。恐らくこの発言は定番の「ご飯論法」というやつであって、本人にしてみれば「オンラインで済むようなことなら MOOC で十分だ」という類のトートロジーを言っただけのことだと反論するのだろう。かような人間の御託など哲学者にとってはどうでもいいことだが、僕も留学については過去に指導教官から何度か勧められてきた経験があるので、少し書いておきたい。

留学してきた人、それから日本へ留学している外国人、あるいは留学だけでなく出稼ぎで日本に来ている外国人などと話してきた少しばかりの経験と比較して言うと、とにかく日本人の多くは老若男女の区別なく、罪人にも五分の利だの、先日も書いた「善人なおもて云々」だの、あるいは「判官贔屓」という言葉の発想からしても、失敗したり負けたり堕落した人間を無闇に美化したり、自分自身についても言い訳なり正当化をどこかに求めようとする人が本当に多い。失敗は失敗であり、それがたとえ現今の制度とかルールとか人間関係あるいはただの運によるものだとは言え、時代が違えばとかあいつがいなければとか、そんなことを言ったところでやり直しはできないのだ。そして、それで財産や生命や人間関係が決定的に取り返しのつかないことになるわけでもない場合が殆どであって、またチャレンジすればいいってだけなのに、もうそれでセカイが消失するかのようなことを言う。でも、それはどう考えてもセンチメンタリズムだ。そこで成功するという身勝手なストーリーに世界が一致しないからといって、自分のラノベ人生を補完するような伏線とか設定をひねり出すなんてことは、ただの自己欺瞞である。

よって、僕は留学するだけの能力もないしお金もないという単純な理由で留学しないと先生方に答えてきたわけだが、もちろん留学することに何の異論もない。留学したほうが良いことだってたくさんある。しかし、果たして必要条件なのかと言われると、ぜんぜんそうは思わないというだけのことなのだ。事実、何年くらい留学してきたのかは知らないが、出版物を見る限り僕の足元にも及ばない無能なプロパーは山のようにいる。

もちろん、それは残念なことだ。当人にとっても甲斐のない話だし、そういう実例が増えるとホリエモンのように「なんだ、留学してても日本の人文・社会系の学者なんて翻訳できるだけのクソだらけじゃん。留学できるなら英語で論文が書けるはずなのに、国際レベルで高い評価を受ける業績がまるでないわけで、これなら留学してもしなくても同じだろう」という話にもなるわけだ。

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