2018年02月17日に初出の投稿

Last modified: 2018-02-17

何年か前からウイッシュリストへ入れていて読もうと思っていた、講談社学術文庫の『良寛(上・下)』が安く手に入ったので、ここ数日でざっと目を通してみた。漢詩や短歌や手紙の原文は、書き下し文としても難しいものが多いので、あまり読めていないが、著者の井本農一さんが論ずるところは確かに了解できたと思う。

現在でも北陸を中心に「良寛会」なる称揚・祖述の素人団体があるようだし、最も高く評価されている書を始めとして多くの事跡を残している人物ではあるから、なかなか正確に(つまりは是を是、非を非として)論じることは難しいと思うが、僕はビジネス書によくある「良寛のように軽やかに生きる」などという、どうしようもなく軽薄な(ゆえに良寛その人にすら軽薄さの責任を負わせることになる)人物像を排し、無能は無能と断定している点で、井本さんの『良寛』は、内容の当否は別としても傾聴に値する評伝だと思う。

もちろん、仏教書の一つも残さず、名刹をマネジメントするような実務能力や人徳もなかったからといって、そういう理由だけで無能と断ずるのは軽率だし、井本さんもそういうことだけで良寛の無能さを論じているわけではないが、しかし客観的に言って仏教徒として「凡庸」であるとしか言えないのも事実である。実績を残さないというのは、そういうことなのであり、どれほど当人が慕われていようと、慕われ方として現れている状況を作っている取り巻きの思惑に何の批評すべき点もないとは言えないだろう。ドナルド・トランプ、安倍晋三、橋下徹ですら、多くの人々にとりあえず外形としては慕われてはいる。

ともあれ、他にも良寛について読んでみたいとは思うのだが、アマゾンで「良寛」と名のつく本の大半は、もうタイトルだけで紙屑の焦げる異臭が漂ってくるような状況にある。無闇にやれ日本の心だ凡人の慰めだと称揚する通俗的で愚かな素人評論から、果ては良寛を発達障害だと言ってのけるクズまである(本当にそう診断しうるとしても、僕は発達障害や身体障害を木梨憲武論法つまり「アルイミギャクニ~」と逆説で表現する異化がカッコいいというだけで美化するのは、はっきり言って下劣外道のやることだと思う)。本当に酷い。漢文や古文の素養があるなら、はっきり言って良寛が残した作品や手紙そのものだけを読む方が絶対にいいと言えるほどだ。

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