Scribble at 2023-07-30 16:00:49 Last modified: 2023-07-30 16:20:55

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The ACL Anthology currently hosts 87700 papers on the study of computational linguistics and natural language processing.

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いやぁ、もうこういうオープン・アクセスの論文アーカイブを毎週のように見つけては、寝るのも惜しいと思えるくらいに張り付いて見てたりするんだけど、ここだと1980年代のアーカイブすら作ってるから古典的な成果もきちんとあって面白い。更に、Creative Commons で翻訳も転載も自由にできるから、これまでと同じく面白い論文は MD で翻訳していきたい。(こういうのって、よく「検索すればいいじゃん」と言われたりするのだけれど、アマゾンだけじゃなくて実店舗の書店で本を眺めるのと同じく、自分が検索しようと思っていなかったキーワードや観点から書かれた論文を見つけることも楽しいし、たとえば多くの大学で異なる分野の研究者が自由に集まってメシを食ったりする習慣なり伝統があるのは、そういうことの効用が分かってるからだろうと思う。)

この手のことを、本当は PHILSCI.INFO でもやりたいのだけれど、ようやく最近になって Springer に翻訳できる論文が増えてきた程度なので、まだ古典的な著作は自由に翻訳できない。正直、1900年代の初頭に MindThe Journal of Philosophy に掲載された論文(しかも著者が亡くなってから100年以上が経過している)ですら、哲学の場合は Documentation Center というよく分からんところの許可をとらないと自由に翻訳すらできないという、原始人みたいな愚行を続けている。よって、皮肉なことに古典を自由に翻訳できず、最新のオープン・アクセスの論文しか翻訳できないこととなり、それゆえ更に古典的な業績が若い世代には無視されていくという自滅的なことをやっているわけだ。最近の科学哲学の学生でグッドマンの反事実的条件法に関する古典的な論文とか、クワインのノミナリズムの論文とか、そうしたものを読んだ人は少ない筈だ。それこそ、アンソロジーにすら収録されなくなっているし、そもそも(ローティの Linguistic Turn など)アンソロジーにすら古典的な著作というものがあって、それを手にする機会がなくなってきているであろう。

僕は著作権法のアイデアそのものは否定しない。一定の年数や媒体について、勝手な転載や度を超えた引用とか誰にでも分かる内容の剽窃から、現著者が労苦に対して受けるべき名誉や収入といった権益を保護するべきであろう。しかし、現在のパリ条約や各国の著作権法もまた、僕の観点から言えば度を超して既得権を保護しすぎていると思う。私見では、著作権や関連する権利・派生する権利の一切は現著者(共著の場合は全員)の死亡をもって消失するのが適切だろうと思う。よく、著者を助けて苦労した家族をねぎらうために著作権の有効期限を延ばして云々とか、民放のお涙頂戴ドキュメンタリーみたいなことを言うやつがいるけれど、そんなもんは法律に加味してはいけない。もしかすると著者はラッセルのように貴族の息子だったかもしれないし(学者や芸術家に金持ちの息子や娘が多いのは確かだ)、本が売れたおかげで存命中から快適な生活を家族も送れたかもしれない。

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