Scribble at 2021-05-17 11:20:02 Last modified: unmodified

Cryptoqueen: A woman scammed the world, then vanished (2019) (bbc.com)

これまでにも書いてきたことだが、暗号通貨の(技術はともかく)市場は「ネズミ講」に近いものである。いわゆる採掘などの手続きで決済内容を信任するプロセスに参加する第三者がいない限り、自分で自分の決済を承認することはできないので、blockchain の "chain" が続かないからである。そして、話はこれだけにとどまらず、既存の貨幣制度や株式制度も、同じ程度の緩い見方をすれば「ネズミ講」だと言える。もちろん、この手の気楽な相対主義を持ち込んで「ネズミ講」を免罪するつもりはないが、何が犯罪であるかという基準に歴史や地域や共同体や特定の状況を無視した客観的で絶対的な定義はないという理解を据えておく必要はある。その上で、特定の時代や地域や法制に照らして、しかじかの事業は「ネズミ講」であると断定し非難すればいいわけである。よって、「クリプトなんとか」だの「ビットなんとか」だの「なんとかコイン」だのという様々な暗号通貨をできるだけ信頼できる仕組みとするためには、やはり私企業が独自に運営する市場だけに任せていてはいけないのであって、それゆえ Facebook がローンチしようとしていた Libra を危険視して各国の通商産業当局が躍起になって潰しにかかていたのも分かる。貨幣制度そのものを自由化してしまえば、格差など今とは比べ物にならないくらい広がるだろう。

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