Scribble at 2023-03-07 14:35:03 Last modified: 2023-03-07 15:38:08

どうして日本人の多くは大学を出るまで10年前後にもわたって英語を勉強してるのに、まともに英語を使えないのかという話は多い。最近のスタンダードな(そして僕を含めて何人かは前から言ってる)答えは、そもそも大半の日本人には英語を習得して使う理由がないからであり、英語を使わなければ仕事ができないとか生活できないなんて境遇にはないからである。

これに加えて、高等教育を母国語で受けられる国は少なく、母国語で博士号の学位が取れる国は限られているという事実を持ち出して、それゆえ日本人には英語が必要ない云々と言ったりする。でも、これはよく考えるとおかしい。大学を出て博士課程に進む人なんて 1% 以下である。大学へ進学する人でも、やっと6割を超えたくらいだ。その 1% 以下の人々が日本語だけでも博士号が取れることと、残りの 99% の学部もしくは修士を出た人たちの大半が英語をまともに読み書きできないこととは、何の関係もないだろう。

それから大学の学部レベルでも英語で量子物理学やロシア史や小切手法を講じる授業は少ないが、そもそも大学で外国語の授業なんて一週間に何回あるというのか。高校までの授業を考慮したとしても、英語を勉強している合計時間なんて実は大してないだろうと思う。中学から高校にかけてのカリキュラムを平均すると、多くても毎日1時間ていどの授業だ。これが休暇を除いて年間に200時間ていどで、予復習の時間を入れて倍の時間だけ勉強するとしても、年間でせいぜい400時間である。つまり、高校までに日本の生徒が学ぶ英語の学習時間は、1日に8時間くらい英語で生活している後進国の子供たちに当てはめると、彼らが1年くらいで学ぶ内容しか勉強していないのだ。それでは使えるようなレベルになんかならないだろう。つまりは、だらだらと年数ばかり長いわりに、単純に英語を勉強する時間がぜんぜん足りていないのである。大学で英語で授業しないからだなんて言っても、いきなり英語で授業したところでついていける学生は殆どいまい。そして、英語が必要なのは確かでも、英語だけで大学受験に合格できるわけでもなし、何年が経過しても事態は変わらない筈である。

こういう話は、やはり人の生き方とか生活に関わることなのだから、学位を母国語で取るとかなんとか些末なことを議論していても意味がない。そうではなく、そもそも「英語で話す」と言う以前に、たいていの人は他人に向かって何か話すようなことがあるのかという点から始めなくてはいけないだろう。日本人は自己主張が弱く云々などと言われても、他人にわざわざ主張までする自己なんてものがあるという欧米の価値観とか生活習慣がない国では、生きていく上でのスタンスという前提が違うのだから、いくら求めてみたところでリアリティも動機もない。僕にしたって同じことだが、英語どころか、他人と話すことなんてないのに英語というだけで何か話すことが湧いてくるわけではない。英語だろうと日本語だろうと、赤の他人と "Hi there." とか世間話なんてクソみたいなものだ。

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