Scribble at 2022-11-01 11:36:49 Last modified: 2022-11-01 17:36:50

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With even early pioneers striking a skeptical note, the time to consider the opportunity costs of shoveling money into the autonomy engine on autopilot is now.

It’s time to admit self-driving cars aren’t going to happen

機会費用について再検討するべきなのはもちろんだけど、僕が常々ふしぎなのは、はっきり言って自動運転の車なんてどうでもいいんだよな。そこがわかってないから、同じ目標を追いかけては競争したり真似したりという下らないことに時間や労力やお金を使うこととなるのだ。問題は、むしろ自動運転車として結実するようなテクノロジーに必要とされる知識や技術や理論の応用可能性であって、そこが手に入って様々な応用に使えることが強みになるし、いわゆるプラットフォーム競争とか標準化戦略の柱になる。電気自動車やハイブリッド・カーへの転換にしても、自然環境なんて実は話の一部でしかないわけで、それらを実用化へ至らせるために必要な技術や知見が何に使えるかが重要なのだ。

こういうことをわかっていない経営者というのが、やはり世界中にたくさんいるらしい。そして、自分たちは遠大で高慢な目標をかかげているつもりらしいが、実は目先の具体的な商品のことしか考えていないという自覚がないため、投資の力点がわからず、強力に推し進めるべきことと即座に手を引くべきことの区別や基準が的外れで成果を上げられないわけである。

そして、気の毒なことだが、そういう経営者に共通するのは「数学が嫌い」ということである。数学というよりもむしろ、物事を抽象的・形式的に理解して、その適用できる条件を最大限に広げて考えられる(本来はむしろ「文系」と言われるような)想像力がないということなのだ。こういう想像力がない人たちは、単に偏微分方程式の演習問題や東大の入試問題が解けないといった些末な話ではなく、たとえば「1+1」を「みかん1個とりんご1個」の計算としてしか理解できないような人々なのである。「1+1」を「鉛筆1本と消しゴム1個」の計算だとか「木星と火星」とか「犬1匹と猫1匹」とか、ともかく色々な脈絡や条件に当てはめて使う力がないということだ。

それにしても、シンギュラリティがインチキであることは既に多くの人が知るところとなっているけれど、自動運転は多くの企業が実証実験を重ねている最中でもあり、この時点で言うことには多くの人々から反論があろう。まだ実験も始まっていない時点で空論をこねるだけなら、それこそ IT ジャーナリストとか二束三文のライターにでも書ける話なので、そういう連中のコタツ記事や釣り記事と同じだと言ってもいいのだろうが、この時期に、アンドリュー・キーンとかジャロン・ラニアーのようなテクノ・ラッダイトみたいな連中でもない人物がこういう記事を書くのは珍しい。

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