Scribble at 2021-08-31 14:46:03 Last modified: 2021-09-01 16:48:01

今日は、ジェフリー・フェファーとロバート・サットンが書いた『事実に基づいた経営』を読んでいる。的確な指摘や批評が多く参考になるが、正論ゆえの限界も見えてくる。たとえば、第2章では事実に基づく経営を阻む要因として何があるかを議論している。その一つは、世の中に数多く出回る経営書やビジネス書、そしてコンサルの人間が書いた本の大半は根拠に乏しい分析や解釈や提案を並べていて、それらを手に取る多くの経営者は内容の真偽だけでなく実地へ応用する適切な手段も分からないということだ。そして次に、そうした経営学者の通俗本やコンサルのお伽噺みたいな本の多くは、端的に言って生存バイアスの見本市みたいなものだが、成功事例からの素朴な帰納法という議論が、あたかも客観的なデータを元にした論証であるかのように濫用されているという。僕も、ビジネス書を毎日のように読み始めて1ヶ月となるまでのあいだ、有名なビジネス書の大半が後知恵バイアス(経営陣がこれこれを知っていたり理解していたら会社の倒産は避けられたはずだといった類の論評)や生存バイアスの典型と言いうる、クリティカル・シンキングの教材として使えるほどの愚かな議論を展開していたことが分かった。

しかし、生存バイアスを避けるとは言っても、或る共通の施策を除いては殆ど同じ条件の企業なんて、そうそう幾つもあるわけがない。そして、僕は経営学の調査や実務は具体的に知らないが、常識的に考えても〈倒産した企業の情報は殆ど記録として残らない〉と想像できるので、厳密かつ詳細に企業の比較をするには、設立されてから倒産するまでの施策なり判断なり社内議事録について、部外者として利用できる限りの情報を集めなければならないはずだ。しかし、まず多くの非公開企業では施策の根拠を知るための社内議事録など開示してはもらえないだろうし、それどころか会社としてどういう施策をしているかということすら、公に現れる事実を除けば教えてはもらえまい(たとえば報酬基準を変えたとか、収益認識基準をどう定めたとか)。

となると、こう言っては語弊があるかもしれないが、上場企業ですら株価操作の目的で(ただちに違法となるほどの風説を流布するわけではなくとも)ブラフをかますことがあるというのに、上場してもいない会社が自社の施策を細かく広く第三者へ開示するわけがないのだから、生存バイアスを避けるために必要な counterpart のデータは集めるのが難しいか、実質的には不可能だと言わざるをえない。そして特に、上場しているかどうかにかかわらず、多くの企業、いやそれどころか自営業者や地方自治体ですら、対外的に開示する財務データには、あからさまな嘘だけでなく、勝手に基準を独自に設定して計算した帳尻合わせの数字が書かれていたりするものだ(国や報道機関が伝える「ワクチン接種率」とか「感染者数」の数え方などは、彼らが国民に何を錯覚させたり何を誇張したいかによって変わってきた)。よって、公にされるデータしか公平に比較する基準がないにもかかわらず、それらのデータすら信憑性はさほど高くないとなれば、或るアイデアや定式化の根拠となる企業のデータが「成功した企業」のデータだけだったとしても、それを相対化できるだけの対抗事例なり反証、つまり "all things being equal" な条件にあっても異なる結果が生じたという事例を集めることは極めて困難だと言わざるをえない。

たとえば、Good to Great(『ビジョナリー・カンパニー2』)の中で、優れた経営者の条件として「ストックデールの逆説」という話が出てくる(https://www.jimcollins.com/concepts/Stockdale-Concept.html)。厳しい現実から目を逸らすこと無く向かい合いつつも、自ら定めた目標を見失わず諦めない意思の強さを持つことが、高い業績を残す企業の優れたリーダーの条件だという。しかし、考えてもみれば、高い業績を残した企業は、厳しかろうと楽だろうと現実に直面したであろう企業(それだけなら、実は全ての企業が当てはまる)の中で生き残った企業なのだから、そこで諦めずに働いていたリーダーが何をしても生き残った条件だと、言おうと思えば言える。それら多くの企業のリーダーが、朝の9時に揃いも揃ってスターバックスのコーヒーを飲んでいたなら(それら大企業の近くにスターバックスしかなかったという可能性だってある)、スターバックスでコーヒーを飲むことが偉大な企業の経営者となるために足がかりとなるかもしれないわけだ。

しかし、だからといって本社の近くにスターバックスがないという条件を満たす点を除けば殆ど等しい他の企業なんてあるだろうか。それは、考えにくいことだ。よって、生存バイアスを避けるとは言っても、その考え方や調査方法には何らかの妥協なり単純化が求められるだろう。しかし、そこで比較の基準としては重視しないと言いうる根拠が妥当でなければ、生存バイアスを避けると称する比較こそが、今度は別の間違い(過度の単純化など)を引き起こすであろう。

さて、本書では既存の経営書やビジネス書が吹聴する単純な図式や、脈絡によってどうとでも解釈できる〈心構え系〉のスローガンを具体的に紹介している(そして、その多くを簡潔に叩き潰してもいる)。もちろん、われらがトム・ピータースやピーター・ドラッカーやマイクル・ポーターといったビジネス書のロック・スターも数多く出てくる。僕が驚かされるのは、社会科学として議論に値するレベルの経営学なんて、たかだか40年くらいの歴史しかないにもかかわらず、既に表層替えだの焼き直しだのと言われるオウム返しの「最新理論」(たとえばシックス・シグマに代表される品質管理手法)が何度でも登場するという話だ。まるで経営戦略やビジネス書を読む人々の大半が、読み終えたら即座に内容を忘れて、暫くすれば経営コンサルや経営書が吹聴する似たような理屈やアイデアをまたも喜んで聞いたり読んでは、再び忘れるという気の毒な人生を繰り返しているようにも思える。

ただ、これはここ30年くらいのあいだに起業した会社が事業継続できる年数の短さ(もう平均では10年くらいにまで短くなっている)を考慮すれば、仕方のないことかもしれない。つまり、市場に続々と新参者が現れては、先行しているプレイヤーが次々と倒産したり廃業したり吸収・合併によって経営者の座を追われたりするのだから、10年前に導入して実行した品質管理手法が職場で定着したとしても、会社が倒産してしまえば、倒産した会社から起業した新興会社への知識や経験の継承なんて簡単には起きないので、そういう新しい会社では再び品質管理を一から考えなくてはならず、多くの起業家は MBA なんて持ってないわけだから、そのときに学べる手法を(それが昔の手法を焼き直したにすぎない本あろうと、あるいは昔の手法を解説した本の重版だろうと)学ぶしかないだろう。

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