Scribble at 2025-11-25 18:07:05 Last modified: 2025-11-26 14:52:52

添付画像

What Killed Perl?

なにをもって開発言語の死亡宣告をするのかは、たぶん人によって違うのだろう。そして、僕が思うには、プログラミング言語について書かれた死亡記事というものは、たいていにおいて「誤報」の類である。なぜなら、コンピュータ・サイエンスの観点から言って原理的な欠陥があるわけでもないなら、そのプログラミング言語を捨てる数理論理学的な理由はないはずだからだ。ありていに言って、少なくとも四則演算の範囲で際立ったパフォーマンスの問題や計算の間違いを引き起こすわけでもないなら、大多数のケースにおいて、そのプログラミング言語は他の言語と同様に使って良いし、使っていけないわけがない(大半の企業で経理や財務がやっている「計算」は、四則演算でしかない。経理部で三重積分や確率方程式を使うなんて話は聞いたことがない)。入力された数値を1,000万回だけ演算するのに、廃れた言語が Rust や Go に比べて2倍の所要時間を使うとしても、それだけのことで一つの言語を捨てる理由にはならないのである。

つまりは、或る言語が多くの人々から使われなくなる理由というものは、論理的なものではなく、こう言ってよければ「社会的な」ものであろう。実際、文脈自由文法を満たしている限り、或る特定のコーディング規則に沿って大抵のプログラミング言語は似たようなコーディングができるわけで、やろうと思えば他の言語のビルト・イン関数と同じ書式を満たすようなユーザ定義関数をラッパーにして、他の言語でコーディングしているかのようなフリをすることだって、あるていどまでは可能だ。でも、たいてい人はそんなことしないわけで、それはその書式が或る処理にとって本質的でも必然的でもないからだ。であれば、逆に言って、或る言語が廃れている理由にしてみたところで、その言語で採用されている書式が或る処理にとって本質的に「悪い」ものだからではないのだろう。実際、本当にそんなことがあるなら、これまで数多くのシステムが Perl で書かれてきたことに正当性がなくなってしまう。

ということなので、Perl の死亡理由を何か言えというなら、それは論理的なものではありえず、せいぜい「Perl を殺した犯人、あるいは Perl が亡くなった死因は、WordPress である」などと軽口を叩くのが関の山であろう。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る