Scribble at 2024-10-22 17:24:56 Last modified: 2024-10-22 17:30:29
iPad や iPhone のアプリケーションて、もうちょっとマシなものが多いと思ってたんだよ。昔は、何か先進的なスマホ用のアプリケーションとかは iOS 用に先行して公開されて、Android 用は後からとか、あるいはそもそも iOS 用のアプリケーションしか開発されなかったりしたものだから、少しは期待があったんだよね。Apple のレビューも Google Play よりはマシだろうと思ってたし。
でも、iPhone を使うようになって1年、そして iPad を使うようになって半年が経過して、そういう期待は綺麗さっぱりなくなった。
たとえば、PDF ファイルを扱うリーダーって AppStore にたくさんリリースされているけれど、やっぱり Adobe Reader か、あるいは iOS の「ファイル」とかいうふざけた名前のアプリケーションで開くのが最も安定していて操作もわかりやすい。正直、それ以外の PDF リーダーや編集アプリは、「クソ」とか「クズ」と言っても良い。もうリリースしなくていいから、Adobe と Apple 以外は消えて無くなってもいい。
多様性? 知ったことか。ここでは何度も、俺は権威主義者だって言ってるだろう。俺が権威と認めたもの以外は価値がないのだから、そんなものがいくら多様で数が多くても、文化的な意義はゼロを無限に足しているようなものだ。馬鹿や無能がどれほど思いつきでアプリケーションを開発しようと、そんな「ゼロ加算」を無限に繰り返したところで、そんなものが達成する多様性なんざ人類の発展にとって何の値打ちもないね。生物においても、偶発的な経緯で異常と言える性質をもつ個体がいくら増えても、そんなのは種の保存の役には立っていない。実際には、そういうクズや奇形や劣化した個体は消え去るのが正常な淘汰というものであって、自然の摂理や神さまが左翼のリベラルみたいに「これは多様性のために残そう」なんて慈善事業をやるわけないんだよ。多様性というものは、寧ろそうやってきた経緯の「結果」なのであって、多様性ゆえに何か素晴らしいことが起きるといった「原因」ではないのだ。
科学哲学者としても言うが、この程度のことをしっかり通俗本ですら明快に伝えられないからこそ、本場のアメリカやイギリスでも、生物学の哲学というのは科学哲学の中でも三流の学生が集まる掃き溜めだったり傍流扱いなんだよ。まだドーキンスみたいな文化芸人の方が哲学的にもマシなことを言ってるくらいだ。