Scribble at 2020-02-18 16:45:48 Last modified: 2022-09-30 18:09:50

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Opening Address on 3rd March, 2001

[update in 2020] 以下の文章は、2001年というから大昔の話になるのだが、上記の文章は、互換シェルのサイトと、いまで言う PHILSCI.INFO とを同じディレクトリの下に分割して配置していた時代の扉ページに掲載した際の挨拶である。[/update in 2020]

学術に関するスタンスは何も変わりませんので、よくあるドクター崩れの泣き言みたいなのをだらだらと書くつもりはありませんです。互換シェルのサイトについて事情をご存知の方はお分かりのとおり、僕のサイトは既にある種のオーソリティをもっています。これは僕が院生だとかいうことと関係なく、明らかに(皆さんの協力があってのことですが)僕がそのサイトで提供しているコンテンツの評価に由来しているのです。恐らくウェブ上では、哲学のサイトも同じくコンテンツで評価されるでしょう。ただ残念ながら、大学の研究者と一般人の区別なく、いまのところ日本で公開されている科学哲学関連のサイトは殆どがクズ同然と言えます。検索エンジンで調べてみればすぐに分かるでしょう。殆どのサイトは、「詳しい名刺」ていどの学科案内か、「大学の紀要にすら載せられないくらい低レベルな読み物の置き場所」であるか、あるいは素人が自費出版の感覚で公開しているほほえましいほど無益なサイトであるか、それとも中途半端にかじった自称研究者どもが思い込みや自分勝手な造語を捻り出して悦に入っている有害なサイトです。少なくともこれまでに研鑽してきた経緯を活かして、僕は少なくともこれらの(有害ではないかもしれないが)無益なサイトを駆逐できるくらいのコンテンツは提供したいと思っています。

要するに科学哲学のサイトもコンテンツで判断されると言いたかったわけですが、自分の進めたい研究はもちろんやるにしても、これから科学哲学の分野で何か期待のもてるサイトは出て来るんでしょうか? これからネットを普段の生活で利用する人が増えてくると期待できるのかもしれませんが、僕自身は幾つかの条件に照らしてみればかなり難しいと思っています。第一に、コンテンツそのものがまともな水準で提供されなくてはなりません。第二に、論文やレポートを掲載するだけでも有用には違いありませんが、もっと広く情報を提供するようなサイトの場合はウェブ上のコンテンツとして何が有用かを見分ける感覚が必要です。「そんなことを、提供する側があらかじめ決める必要はない」というのは素人考えです(あるいはちょっと検索すれば有用な情報だけを検索結果として入手できた、牧歌的な時代のネット環境をまだ信じている人の考えです)。いまやポータルに限らず、ほぼ全ての有用なサイトは雑多な情報を単に垂れ流しているのではなく、編集され整理された情報を提供しています。そこに編集上の方針があろうと、われわれの期待する結果に見合う方針なら問題はありません。編集をしないでコンテンツを提供することが許されるのは、「関連する全てのサイトやウェブページを完全に網羅している」ようなサイトだけです。中途半端にかき集めたブックマークの出来損ないを整理(や取捨選択)もせずに提供するだけなら、それこそ小学生にでも任せられます。

第三に、情報を継続して提供する環境で作業をきちんとやれる人が運営しなくてはなりません。これに関しては、院生がやるなら自分でサーバのスペースを借りるなりドメインを取るなりしなければならないでしょう。大学のサーバに間借りしても所詮は数年で消えてしまいます。継続して参照できる見込みのないサイトは信用されません(紙媒体と異なり、単にサイトが移転する可能性だけでなく消滅する可能性もありますからなおさらです)。情報そのものは一過性であっても構いませんが、サイトは継続的に運用されなければなりません。ウェブ上にあるゴミのようなブックマーク・ページをデッドリンクがないよう頻繁に更新する人はあまりいませんから、ひとたび移転してしまうと、デッドリンクへ飛んでサイトが消えているのを知った人はたいてい移転先をトレースしないものです(だって移転じゃなく、そもそもネット上から消えていたら探すだけ無駄でしょう? 誰かがミラーしたりキャッシュしてくれてると思う?)。

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