Scribble at 2024-11-06 08:54:30 Last modified: 2024-11-06 14:44:27

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登録者数49万人超の大人気英語講師YouTuberが書いた、世界一シンプルな英文法書!

【ネイティブが実際に使っているフレーズで、英文法の使い方がリアルにわかる!】

話せる英文法 ネイティブの生きたフレーズで31のエッセンスが脳に染み込む (2022)

この落書きも、当サイトで掲載している「英語の勉強について」という論説に追加する予定だ。論説の下書きみたいなものだが、CMS を使うほうがウェブ・ページを編集するよりも気楽だからにすぎない。

さて、単刀直入に結論だけ言えば、僕はこういう本をお勧めしない

中身は確かに面白いし、役に立つ情報もある。それは著者の YouTube チャネルでもご存知の方がいることだろう。でも、他の英会話系の YouTuber のチャネルと同じく、そして僕に言わせれば朝ドラで有名になった NHK の英語学習番組にも言えることだが、このように場当たり的なお得情報やティップスみたいなことを雑然と見聞きするだけで英会話できるとか英語力がつくというのは、はっきり言えば錯覚であり幻想である。現に、アメリカで仕事をしている人々や英語教育に携わる40代以上の人々の大半は、子供の頃に NHK の番組なんて観てないし、もちろん YouTube どころかインターネットすら存在しなかった。それに対して、現代はこれだけたくさんの番組や教材や無料の YouTube チャネルがあって、もうそんな環境になってから20年は経過しているけれど、アメリカの IT 企業で役員になった日本人は殆どいないし、生成 AI で国際的なスケールで評価される論文を arXiv に投稿した日本人は全くいないし、若手ビジネスマンも、東大や慶応を出ていようと殆どが英語でアメリカ人と交渉できない。要するに、これだけ楽しくて分かりやすいと評判のメディアが無数にあっても、日本の若者の英語力は殆ど向上していないと言える。誰それに何十万のフォロワーがいるなどと宣伝しても、それは配信を観ている側の人たちが英語を使えるようになったかどうかとは関係がないのだ。

僕の見立てでは、上記のような本をありがたがって消費することだけに熱心な人々が、結局はこういうビジネスや教育システムを支えてしまっているという現状が昔からあって、過去の経緯はよくわからないものの(「日本の庶民が英語を使えるようになるとアメリカの国情や戦略を庶民に知られてしまうからだ」といった、安易に陰謀論へ走る人も多いので、敢えてここでは話題にしない)、こういうインチキで劣悪な教育法とか情報とか出版物が横行している現状を、僕は「社会党商法(55年体制商法)」と呼びたい。これは、かつて社会党が自民党に対する「反対野党」という地位を利用して逆に政治的なポジションを固めていったという皮肉な状況をヒントにした言い方だ。つまり、実際には英語で生活したり仕事をする役に立たないか効果が乏しいやりかたを、公教育なり従来の英語教育に対するアンチテーゼなどと称して場当たり的に紹介したり出版したり英語教育に導入して、なにか仕事をしたつもりになっている教師や物書きや出版編集者の思い込みを、55年体制の社会党みたいなものだと揶揄するわけである。そんな場当たり的なやりかたで公教育のスタンダードなメソッドが置き換えられるわけがないことを、最初から知っていて反対意見を述べ続けるという愚劣さが、そういう立場に安住した社会党みたいなものだというわけである。

もちろん個々の教材は、面白いだろうし新しく学ぶべきことが書いてあるかもしれないから、全く無益というわけではない。しかし、そういうことに依存して場当たり的に「お得情報」みたいなものをオーディエンスに放り投げていれば教育や啓蒙になるというのは、まったくの思い上がりだし、分かっていてやっているなら詐欺的だとすら言える。実際に我々の社会の実情をみれば分かることだが、YouTube で英会話のヒントみたいなものを配信する人が登場してからでも10年以上は経つというのに、中学時代から観ている人が二十代になっているとしても、彼らがどのていど英語を使えているのかは、目覚ましい効果なんて全く世の中に現れてはいない(もちろん、僕は個々人の実績なんて知らないが、本当に効果があれば英語を駆使する若者が劇的に増えているはずなので、新聞やテレビが取材したり報道するほどの社会的な実績が出ているだろう。英語力が上がっても実績を出していない若者が多いだけだと反論できるとしても、ビジネスや学問ではなおさらだが、しょせん実績を出さなければ TOEIC で満点だろうと英検1級だろうと「できない」のと同じなのである)。

ここで、「英語の勉強について」という論説でも少し書いていることだが、僕が考えている「英語力」つまり英語で生きる力というものについて、簡単に説明しておこう。そして、何十万のフォロワーがいようと、何万冊の売上があろうと、いまから述べるようなポイントを十分に提供していない YouTube チャネルを眺めたり教材を買ったり英会話教室へ通うことは、僕に言わせれば時間とお金の浪費だ。

まず、僕が考える英語力は三つのポイントで解説できる。第一に文法。第二に英語を使う動機。そして第三に、そもそも本人がもつ生活習慣だ。

まず文法から解説する。言語の習得に関する「赤ん坊最強説」をいまだに唱えている馬鹿な素人のことはさておき(われわれはあらゆる意味で、いまから赤ん坊になったりはできない)、いまだに文法の勉強が不要だと嘯く素人もたくさんいる。そういう連中に限って、こう言っては気の毒だが無学(学歴がない)で、自分ではアメリカで英語を使えたなどと思い込んでいるようだが、実際には現地ではお客さん扱いで、子供や移民に接するような英語でしか応対してもらっていなかったような連中だ。つまり、相手が高いストレスで自分に合わせてくれていたことすら自覚できない馬鹿に限って、100の単語で会話できるだの、あるいはいま盛んに広告が出ている81の文を覚えたら話せるといった、デタラメを日本で振り回すようになる。でも、日本では彼らにわざわざ挑戦するような暇人はいないので、誰も彼らのリアルな英語力を試したり検証したり批評しようとはしないわけである。皮肉にも、そういう「日本的な状況」に依存して、こういう無知無教養な連中は英語や英会話について得意げに語っているわけだ。

次に動機は、何人かの人物が既に英語教育について指摘しているから、本や雑誌あるいはオンライン・メディアの記事で同じような主旨の文章を読んだことがある人はいることだろう。つまり、日本人の大半が英会話できないのは、英語で会話する必要がないからだ。なので、どれだけ学んでも使う必要も使うケースもないので忘れてしまったり、英会話する意欲そのものもなくなる。これは全く単純だが非常に強力なポイントだ。そして、アメリカで生まれ育った人が英会話をしているのは、当然だが彼らには英語で生きるという必要があるし、動機どころか英語ができないと生活できないからだ。つまり、言語というものは「できる・できない」という能力の問題ではなく、「やる・やらない」の問題なのだという事実を日本では軽視している。そして、大半の日本人にとっては、生活するために英語を習得する必要なんて全く無いのだから、必要がなければやらないのは当然なのである。したがって、「日本人の多くは英語ができない」と嘆くのは勝手だが、それはつまり日本が母国語だけで海外も含めた情報へアクセスできたり生活できるという事実の反映でもあるのだ(もちろん、それだけで十分かどうかの議論は別にあるだろう)。よって、英語で生活する必要も動機もない人が何十年と NHK の英会話番組を観たところで英語力はつかないという膨大な事実が蓄積されているだろうし、逆に必要があれば、被爆者団体の高齢者が還暦を過ぎてから英語を学んで観光客へ解説している事例などでも分かるように、さほど年齢に関係なく英語が使えるようになるのだ。

そして三つめが生活習慣だ。これは「英語の勉強について」という論説でも書いたように、そもそも他人と挨拶を交わす生活習慣がない人が、どうしてアメリカに行ったとかアメリカ人が目の前にいるというだけで "Hi, how are you?" などと咄嗟に言えるだろうか。逆に、場所や相手によって言えるようになるなんて人の方が人としておかしいのであって、僕はそういう人とは付き合いたくない。それから、大阪の女子は英語の習得が速いなどと放言を口にする人がいるけれど、それはつまり日本で暮らしている普段から誰とでも気兼ねなく話をするという生活習慣があるかどうかがポイントになっているのであって、大阪人なのか鹿児島人なのかは関係がないのだ。

このように、英語力にとって大切なポイントは以上の三つだと思う。もちろん語彙はたくさんあるに越したことはないし、語彙が少なくてもいいなんていうデタラメには既にたくさんの反論を書いているから、ここでは繰り返さない。だが、本質的には英語を使うかどうかは語彙の問題ではなく、生活習慣や動機という本人の置かれた状況や境遇や考え方や振る舞いの問題にかかわっているのだということを強調したい。

こう考えると、やはり日本には「英会話」という特別な知識やスキルがあるという思い込みがあって、その基礎になっているのが色々な雑学的なお得情報の集積なのだという、東大小僧を頂点とした「暗記」だけを才能の基準にする歪んだものの測り方が横行していると思う。だからこそ、本質的でもなんでもない項目を大量に詰め込んだ参考書などを「名著」と言っては、続々とちくま文庫などで復刊したり新しく出版するという錯覚が出版業界にも蔓延しているわけだ。その果てが、些末なお得情報を延々と垂れ流す YouTube のチャネルであり、現代の流行サービスと、古くからの出版人や教育者に蔓延している錯覚や偏見は、実は繋がっている(あるいはメディアが違うだけで同じことをやっている)のである。

では、そういう日本でも英語ができる人は少なからずいるわけで、僕がその一人なのかどうかはともかく、そういう人たちはどうして英語が使えているのか。一つは、冒頭でも書いたように NHK の番組なんて最初から無視していたり、学校の勉強とは独立の動機をもっていた人がいたのである。たとえば昔ならペンパルだとかハム無線だとかで海外の人々とやりとりしたいという動機をもつ人がいた。いまでも、たとえば MMORPG の海外サーバで遊んでいる人にも、そういう動機を持つ人はいるだろう。僕は、かつて NHK で英語番組を担当した高橋一幸先生(現在は神奈川大学教授)から中学時代に英語を教わった一人なので、当時も授業で NHK の教材を使っていたのだが、僕はそういうものを殆ど有効に活用しなかった。僕がマッキンゼーや MIT に進んだ同級生と肩を並べる英語の使い手として中学時代を過ごしたり、あるいは高校時代には ESS の部長をやっていたていどの英語力になったのは、学校の教材とはぜんぜん関係のない、ダン・コーツという人物の Econocast というラジオ放送の教材をひたすら聴いては、彼の話し方に学んだからだ。いまでは覚えている人が殆どいないと思うが(検索しても政治家のダン・コーツしか出てこない)、相当な早口だ。中学生でこれを真似るのはそれなりにストレスがかかる学習だったのだが、僕にとっては目標とする喋り方や頭の回転であったから、よい教材だったと思う。他にも、Newsweek を購読してもらったり、学校の勉強はさほど熱心にやっていなかったしテストの点数も低かったが、大阪市内で出会った観光客と会話できるのは僕だけだった。つまり、現状の教材とか英語教育でもできる人はできるわけで、そういう人たちが口にする英語の話は単純な生存バイアスである可能性があって、簡単に信用しないほうがいい。もちろん、僕がここで書いている話も含めてだ。

なんにしても、体系的な知識を持たない、つまりは言語教育についてメソッドを大学や専門学校で叩き込まれた経験がなく学位のない人が言語を教えるのは、それなりにリスクがあるということだ。実際、上記の本を書いたニック・ウィリアムソンという人物の経歴を見ると、「オーストラリアのシドニー出身。 シドニー大学で心理学や日本文学を学習。 日本の文部科学省の奨学金を得て在学した東京学芸大学研究生時代に、英語講師を始める。 その後に英会話教室『ニック式英会話』を主宰」などとなっていて、いわゆる ESL(外国人のための英語教育課程)を修めた形跡がない。要するに英語教育の素人であって、自分が英語で話せるというだけで他人に英語を教育できるという、教育程度や見識の低い「ガイジン」によくある錯覚だ。そして、安易に開校した素人の英会話教室で「講師」などと自称しているチンピラ外国人は、たいていこういう連中だ。そしてさらに、「ニック式」などと称しているが、それはつまり、彼に学んでも彼の劣化コピーになるということでしかない。経歴を見ると分かるように、この人物はオーストラリア出身であるから、アメリカに行って住んでいたことがあるかどうかも分からないし、アメリカの言語を正確に勉強したかどうかも不明なので、この人の劣化コピーということは、アメリカ人の大半が「なんだこいつ?」と思うような発音と言葉使いで話してしまう可能性があるということに注意しておいた方がいいだろう。

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