Scribble at 2025-06-08 08:54:45 Last modified: 2025-06-08 09:07:57
情報資産のセキュリティに限らず、防犯でもお金の資産運用でも言えることだし、就職や資格の勉強といった話題についても当てはまることなんだけど、自分の生活や自分の資産、つまり自分自身の持ち物や精神を安定かつ安全に守るための秘訣は、「安易に他人の真似をしないこと」に尽きるんだよね。これは、一見すると逆説的に見えるかもしれない。なぜなら、世間の常識に従うほうが処世術としては有利であり、保身に役立つという意味では自分を守ることに役立つように思えるからだ。でも、得てして常識に照らしてものごとを判断することと、安易に他人の真似をすることは、多くの事例で違っている。たとえば、YouTube や TikTok のインフルエンサーの真似をすることは「常識」だろうか? 彼らの多くは、わざわざ人前に出てくるくらいだから、たとえば大金持ちだったり有名人だったり色々な実績、たとえば東大を出てるとかさ(笑)、そういうセールス・ポイントがあるわけだよ。で、自分たちのやってることを紹介するなりステマで広げてお金を稼ぐなり得点を稼いでいるわけなんだけど、ではああした連中の真似をして君らに本当に何か得るものがあるんだろうか。昨日も父のいる実家で音楽番組を観ていると、TikTok で流行しているポーズだかダンスの話をしていたわけだけど、あれって翌月にはオワコンになるような一過性の、もはやブームとかミームとすら呼べないような現象であって、ちょうど数千羽の鳥が群で上空を飛んでいる最中に、先頭の一羽が向きを変えたら後続の鳥も一斉に向きを変えるとか、僕にはそういう社会生物学的な現象にしか見えないわけだよね。もちろん、本人たちは面白がってるし、それで何か誰かに迷惑がかかるとか、一緒にやらないやつを虐めるとかいったことでもない限り、そんなもん勝手にやってりゃいい話で、逆に言えばそんなことをやろうとやるまいと、あるいは知っていようといまいとどうだっていいことだ。そして、そんなことに同調するのは「常識」でもなんでもない、つまりは「常識」であるかのように宣伝してる連中のまやかしでしかないわけだよ。凡人であろうと、「常識」に照らした判断や行動というものは、そういう殆ど条件反射や本能といった行動とは違うわけで、凡人の常識的な判断や行動であろうと、そのていどは何らかの認知能力を使っているからこそ、向上や改善の余地があるわけだ。そうでもない限り、誰が TikTok の踊りをコピーしてるロボット同然の人間にウェブ・ページを公開して啓発するなんて無駄なことをするものか。凡人でも(僕も凡人だ)あるていどは僅かでも向上が期待できると思うからこそ、こんなことをして色々と注意喚起したり批評するわけだよ。何の見込みもないなら、哲学者として言えることなどないね。無能なプロパーと一緒に反出生主義なんて御託をお喋りしてないで、とっとと人類なんて滅亡すればいいのだ。
愚劣な構成作家や記者あがりの右翼政治家などといった巷にあふれているインチキとは違って、人類史スケールでものを考える保守思想家として言わせてもらうなら、自分たちで「これ常識でしょう」みたいなことを言うやつに限って、尊重したり参考にするべきものをもっていないデタラメを口にしているのだ。なぜなら、常識ではないからこそ、いちいちそんなことを言うからである。常識なら多くの人が既に心得ている筈の理解や判断の基準なのだから、そんなもん他人、ましてや YouTube で喚いているような40代にも満たない小僧に教えてもらう必要などない。常識とは、それなりの年齢に達して人生を過ごしてきた人であれば、特別な職業とか出自とか学歴とか経験がなくても、たいてい身につくような理解や判断の基準が「常識」と呼ばれるものだからだ。東大の修士課程を出ていないと学べないとか、大手の建設会社で部長にならないと与えられないとか、世田谷区に一戸建てを買わないと身につかないとか、「常識」というのは、そんなものではない。
そういう前提を置くと、やるべきことの是非が分かっているなら、たとえ流行っていようと、「常識」でないものは切り捨てても構わないというのが、結局はたいていの凡人にとっては基本的なスタンスであろう。そして、その範囲で判断したり理解することから始めてもよいし、そうするしかないのだ。よって、自分にとって必須でもなんでもないオンライン・サービスが必須であるかのように宣伝してる連中の言う事など、まったく無視してもよいのであって、それによって被るリスクを彼らがどれほど宣伝していようと、そんなリスクは実はないのである。Meta のサービス、Facebook を利用していないと自営業者はブランディングに失敗する? そんなわけねーし。たとえば電通案件で言えば、キャンペーンの広告を展開するプラットフォームとして Facebook なんてものは10年くらい前から無視してるよ。なので、弊社では公式のアカウントを、そろそろ Facebook から取り下げようかとすら思ってるし。逆に Facebook Pages に自社のページがあるなんて、どう考えても若い人から見ればダサいし、そこで企業情報を展開してブランディングになるといまだに錯覚してる会社ってだけで、ネット・ベンチャーとしては時流をわきまえていない情弱だと思われるからだ。
だが、そういう若者の見方になんでもかんでも同調すればいいかというと、それは若者を相手にブランディングする必要があるからやってるだけであって、やはり常識的には若者のやっていることに何でも同調すればいいというものではない。TikTok なんて、俺はアカウントすらもってないけど、別にそれで何か致命的なことが起きてるわけでもなんでもない。社内で「遅れたオッサン」と思われてるわけでもないだろうし、そんなもん社内で他を圧倒する知識と経験と技術力と実績があれば、どうだっていいのである。もちろん、僕と仕事をしたことがない社員も多いので、プライバシーマークの話を繰り返すジジイだと最初は思うかもしれないが、聞くところによると弊社は元社員とのやりとりが多いし、元社員の転職先も近くに多いので(広告代理店とかネット・ベンチャーとかウェブ制作会社とか)、なんだかんだ言っても僕の評価はそういう元社員からも広がっていくらしいと伝わっている。