Scribble at 2022-11-29 10:24:48 Last modified: unmodified

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Why curation and decentralization is better than millions of apps

Android や iOS 用のアプリケーション(もちろん、それだけの話ではないと思うが)を一手に集約するような巨大なカタログ・サイトよりも、それぞれの見識でキュレーションしたサイトが分散して(つまり多様に)展開している方がいいという話である。でも、僕はそういう議論には限界があると思う。なぜなら、Windows 用のソフトウェアを紹介するカタログ・サイトを探してもらえば分かると思うが、既に Windows 用のソフトウェア(無料か有料かはともかく)を紹介するサイトなんて、もう無数にあるからだ。よって、カタログ・サイトのキュレーションをしてもらわないといけないくらいなのである。

これは、何度も話を蒸し返して気の毒だが、10年以上も前に僕が OpenID という認証規格について、"decentralization" なんて幻想だと言ってきた話と、まるっきり同じである。僕はそのとき、OpenID を無料だろうと有料だろうと発行するような ID provider のサービスなんて安定してマネタイズできるとは思えず、そのうち巨大資本(いまで言う GAFA)の寡占状態になるに決まってると予言した。そして、そのとおりになっている。いまや OAuth や OpenID での ID provider サービスを提供しているのは(バルト三国のどこかのように全ての国民に OpenID を発行したとかいう頭のおかしな国を除けば)、GAFA だけだ。これに対して、ソフトウェアのカタログ・サイトは素人がコタツ記事でいくらでも無料ソフトの紹介ができてしまうため、初期投資も運用コストも低いため、馬鹿が毎年のように新しいサイトを続々と公開しては、数年ほど続けて飽きた頃に閉鎖するというサイクルを繰り返している。かような、バイト学生やお小遣い稼ぎ主婦や(元エンジニアと称する)年金老人たちライターのお歴々が「執筆」なさるゴミクズみたいなページは、蛆虫のように続々と増え続けている。

そして、Android や iPhone についても、特に Android は「野良アプリ」のインストールさえ許可させてしまえば、素人でも自由にアプリケーションのインチキ・リポジトリをリリースできてしまう。そういうサード・パーティのリポジトリから .apk ファイルを導入するリスクについて、その "decentralization" やらキュレーションとやらを推奨する人々は、いったいどういう担保や保証があるというのか。口先で「キュレーション」だ、怪しいソフトウェアを除外しているだのと言うのは勝手だが、その保証がないからこそ、みんな AppleStore しか使わないし、Google Play にアクセスできない中国製のタブレットなんて買わないのだ。

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