Scribble at 2021-09-05 09:52:29 Last modified: unmodified

味の好みはあるが、果物は何でも食べる。好物は、瑞々しくて少し酸っぱい梨とか、少し固めで酸っぱいパイナップルとか、グレープ・フルーツとか、おおよそ甘い果物よりも酸っぱい果物が多い。その他、蜜柑は石油ストーブで焼いたものが好きだの、スイカは食べられるが面倒臭いので敬遠することが多いとか、メロンは昆虫になった気分がするし大して美味しいとも思わないとか、それなりに偏った好みはある。

さてしかし、好物である梨は毎年のように夏から秋にかけて食べるものの、ここ最近は食べる機会が減ってきている。もちろん、うちの家計では「高級食材」となっているからだ。近隣のスーパーや遠出した際に立ち寄る業務スーパー(実は業務スーパーでもライフやイズミヤより高い商品もあるのだが)で、いちばん安ければ1個あたり200円前後で買える時期も僅かにあるが、たいていは1個あたり300円くらいする。1食で1個を二人で切り分けていただくとしても、1回で150円というコストは、他の料理にかかるコストと比べたら、ひょっとするとレバニラ炒めよりも割高ではないかと思う。

オンラインでは、これだけの手間がかかっているの品質がどうのと、価格設定が妥当であることを(表面的には相変わらずの「ものづくり」信者として純朴そうに)説明しているが、どれほど高品質で農家の熱意があろうと、人が生きるために必須のものではない以上、取捨選択の権利は絶対に消費者にある。どれほど〈良い〉商品であろうと、それが苟も商品である以上は、買う〈べき〉かどうか、そして買うかどうかは絶対に消費者の自由なのである。よって、発がん性の高い物質が含まれた農薬を使っているとか、モンサントの怪しい種を使っているとか、上流に産業廃棄物が投棄されたり胡散臭い工場がある地域の水を使っているとか、寧ろ積極的に語られない品質でイカサマをしていないかどうかの方が重要だ。

好きな食材ではあるが、買えないなら食べなくてもいいし、別にそれで我が家の文化的生活の水準が下がるわけでもなければ、哲学者なり企業の人材として無能になったり仕事への熱意が下がったりもしない。実のところ、6年ほど前の或る日にいきなり思い立って止めたタバコと同じで、最初から地球上に存在しないものとして眼中から外してしまえば何の精神的・生理的なリスクもない。ただ、1個あたり200円で売ってたら買うかもしれない。

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