Scribble at 2023-10-18 14:45:26 Last modified: 2023-10-18 16:48:35

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竹下節子『女のキリスト教史』(ちくま新書、2019)

バロック音楽の奏者でもある著者が展開する、フランスのフェミニズムや普遍主義の歴史的な経緯と現代の事案にかかわる解説だ。著者が自分のサイトで明言しているように、この本は普遍主義をサポートしてアメリカ流の共同体主義に疑義を差し挟むために書かれたという。

僕もこれらを示されたら、共同体主義よりも普遍主義を選ぶと思う。僕が考える保守主義とは、そういうものだからだ。日本で「保守」と言えば、やたらと「日本」だの「アジア」だの「郷土」だの「地域」だの「血縁」だの「家族」だのと、色々な単位で実質的に人を分断しているのにも関わらず、そこに何か安心感があるといった錯覚を撒き散らす。それは、一見すると無害に見える童話とか絵本に始まり、教育再生会議のくだらないスローガンに至る、色々な回路を使って宣伝されてきた。もちろん、例のネトウヨ構成作家が始めたインチキな「保守」を掲げる政党も似たような意図を持っているのだろう。

実際、日本では共同体主義が好まれる。NHK がせっせと祭り上げた「白熱教室おじさん」のサンデルなんていう、社会哲学者としては明らかに三流で何の業績もないが授業は卓越しているらしい人物にしろ(もちろん、それはそれで業績なのだろう)、パトリだ役人の矜持だと安っぽい国家主義を煽っている宮台真司なんていう人物にしろ、とにかく島宇宙を作って逃げ込めばいいという短絡的な思想がセカイ系の若者から伝統主義の大人にまで持て囃されている。しかし、結局のところ共同体の自律や正当性のためにこそ他の共同体との優越や優先をめぐる争いが起きたり、他の共同体を「街場」だの「アキバ」だのと観光地であるかのように特別扱いして、実質的には差別というメンタリティを補強するわけである。こういうクズみたいな発想を、われわれのような保守主義者は認めない。こんなものは、自分たちの都合だけで捏造したインチキであって、それこそ伝統に反しており、ヒトとして守るべき価値観というスケールでの共同体を破壊する、実質的にはテロリズムである。

もちろん、だからといって普遍主義が最善かと言うと、歴史を紐解いてみても簡単には判断できない。なぜなら、そこで言われている「普遍性」がおうおうにして無用の前提を引きずっているからだ。たとえば、宗教、たとえば人種、たとえば経済的格差、たとえばイデオロギー、たとえば、それこそ性別などだ。みずから普遍的な価値観を守ると言っている人物の考えこそ、更に厳格に吟味されなくてはならない。言ってみれば、共同体主義なんてものは「仲良しだけが仲間だ」という子供の発想に過ぎないので(もちろん彼ら共同体主義者にしてみれば、「同じ日本人」であろうと犯罪者や LGBTQ などは最初から含まれていない)、バカであることが最初からはっきり分かる。これに比べて、普遍主義は表面的な言動だけでは分かりにくい。

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